隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

怪盗 桐山の藤兵衛の正体 八州廻り桑山十兵衛

佐藤雅美氏の怪盗 桐山の藤兵衛の正体 八州廻り桑山十兵衛 を読んだ。この八州廻り桑山十兵衛のシリーズも長く続いており、本書で十冊目だ。一作目の「八州廻り桑山十兵衛」が出版されたのが平成八年なので、二十年以上も続いてる。

主人公の桑山十兵衛は通称八州廻り(正式には関東取締出役)で代官所の手付・手代にあたる幕府の役人である。この作品は連作短編になっており、本書には、手習師匠過去十五年の空白、深まる謎、握りつぶされた三行半、河門笑軒の三頭の馬、冷や飯三人組ともう一人の男、消えてゆく手掛かり、一味の正体の七編が収められている。

中追放を申しわたされた大田宿の長五郎という元髪結いが追放地に舞い戻ってきたという知らせを聞いて、桑山十兵衛が遣わされたのだが、捕縛されていると聞いていた稲月村の領主役場にいざ赴いてみると、長五郎は逃げたということになっていた。十兵衛は再び大田宿に戻り、長五郎を追うことになるのだが、足尾郷のナントカ村に知り合いがいるということで、そこに逃げた可能性があるので、足尾郷に向かう。その途中道に迷った。暗がりを歩いていると大きな一軒家を見つけ、そこで一夜の宿を頼むと、快く泊めてもらえることになり、晩飯まで馳走してもらうことになった。その家の主は河門笑軒と名乗り、そこで手習いの師匠をしているという。歳は古希を迎えており、この地には二十年も住みついているのだということだ。結局十兵衛は運悪く、後からこの家に迷い込んできた長五郎を捕まえることができたのだが、「はて、この河門笑軒とは一体何者だろう?そういえば、二十年ほど前に桐山の藤兵衛という盗賊が姿を消した。もしかすると、河角笑軒は桐山の藤兵衛か?」と疑問を持つのだった。

河角笑軒の正体がわからない中、盗賊事件が出来する。そして二話目で「たき」という女が登場し、この女が盗賊一味と内通しているのか、それともただ巻き込まれているだけなのか、判然としないで物語が進んでいくところが、本作のストリーの肝だろう。最終話でどういうことがあったのかが語られるのだが、話が広がり過ぎのきらいがあり、最後の話はかなり駆け足になっている。

世界神話学説入門

後藤明氏の世界神話学入門を読んだ。世界の遠く離れた場所であるにも関わらず、非常によく似た神話がることが知られている。例えば古事記のイザナキが黄泉の国を訪ねてイザナミを取り戻す話と、ギリシャ神話のオルフェウスの話のように。本書は近年提唱されているある学説に関して解説した本である。その学説とは「世界神話学説」で、近年の遺伝学・考古学による現生人類の移動と特定の神話の流布に合致する傾向があるとする学説である。本書では特にハーバート大学のマイケル・ヴィツェルにより刊行された「世界神話の起源」に基づいて解説している。

マイケル・ヴィツェルは神話群は大きく分けると二つのグループに分かれるとしている。そのグループとは古層ゴンドワナ型神話と新層ローラシア型神話である。ゴンドワナ神話群はアフリカで誕生した現生人類のホモ・サピエンスが持っていた神話群で、現生人類の「初期の移動」である「出アフリカ」よにって南インドそしてオーストラリアへ渡った集団が保持していた神話群であるとしている。具体的には、サハラ砂漠以南のアフリカ中南部の神話、インドのアーリア系以前の神話、東南アジアのネグリト系の神話、パプアやアボリジニの神話群である。一方、ローラン型神話群はエジプト、メソポタミアギリシャ、インドのアーリア系神話、中国、日本の大半が含まれる。上で挙げた古事記のイザナキとギリシャ神話のオルフェウスの話はローラン型神話群に属している。

本書の筆者も指摘しているが、ゴンドワナとかローラシアという名前は比喩的なものあり、当然これらは過去地球に存在していたと考えられている大陸の名前から来ている。しかし、ホモ・サピエンスが誕生したころにはこれらの大陸は存在していないので、マイケル・ヴィツェルはなぜこれらの名前を神話群に与えたのか非常に理解に苦しむところである。また、最初の現生人類の移動である「出アフリカ」と関連しているのは、古層ゴンドワナ型神話であり、マイケル・ヴィツェルが「出アフリカ」が2度あって、2度目のルートが新層ローラシア型神話と関連しているという主張をしているわけではないようだ。にもかかわらず、意図的ではないにせよ、これらのネーミングと、2つを並列に説明することで、両者をまぜこぜにしている印象がぬぐえなかった。

本書を読んだ感想としては、説としては面白いのだが、古層ゴンドワナ型神話の類型がどれだけ人類の移動に関連づけて説明できるかが本節の信憑性性に大きくかかわってくる。これは本書においては必ずしも成功しているというような印象は受けられなかった。新層ローラシア型神話に関しては既に広範囲に人類が分布して以降のことなので、互いに交流があることは容易に想像できるので、似た神話があっても不思議ではないと感じられる。

本人に訊く〈弐〉おまたせ激突篇

椎名誠氏・目黒孝二氏の本人に訊く〈弐〉おまたせ激突篇 を読んだ。本書は本人に訊く〈壱〉よろしく懐旧篇 - 隠居日録の続編で、あとがきを読むと本シリーズは全4冊を予定しているようだ。本書も椎名誠氏の全著作を盟友目黒孝二氏が読み、著者本人の椎名誠氏にインタビューをしたものをまとめた本であるが、本作でも著者本人が往々にして「忘れた」と回答する、いかにもな対談集だ。

まず、「鉄塔の人」に収録されている「妻」という作品を取り上げると、椎名氏は「全然おぼえていないなあ」と言い、目黒氏が作品のあらすじを語ると、

椎名 なるほどね。
目黒 あんたが書いた小説だからね(笑)。
椎名 俺が書きそうな話だなあってきているよ(笑)。

という感じ。また、「むはの哭く夜はおそろしい」という作品は最初本の雑誌社で出版され、その後角川文庫入りして「本などいらない草原暮らし」と改題している。なぜ改題されたのかは、きっとタイトルがなんだかよく判らないからだと思うのだが、

目黒 改題されるということはこのタイトルがひどいからで、それはおれも反省する(笑)。
椎名 ぜひそうしてほしい(笑)。

となっている。本の雑誌社からは「むは」とついている本が何冊も出版されているが、文庫化されるときはことごとく改題されているのだから、やはりひどいタイトルなのだろう。たとえば、「むはのむは固め」は「くねくね文字の行方」と改題され、

椎名 これ、もともとのタイトルがよくないんじゃないかな(笑)。
目黒 そうだね。むはのむは固めって何なの?
椎名 お前が作った本だぞ(笑)。

と作った本人もよく覚えていないのだ。

「黄金時代」という作品では、目黒氏がいい作品なのだがラストがよくないといい、それを受けて、

椎名 いや、そういう回があってもいいんだと思うよ。
目黒 作者の言い分も聞きましょう。
椎名 そうだなあ。まあ、書く前に言ってほしかったな(笑)。

というやりとりもいかにもと言った感じ。

「からいはうまい」という本では、

椎名 翌日肛門が痛いというんだから(笑)

と書いているが、実際私はこれを経験したことがある。排便するときにひりひりして、痛いのだ。

「ハリセンボンの逆襲」の文庫版の解説に、これまたおなじみの沢野ひとし氏が「高校一年の時に椎名が自主的に学級新聞的を作ったことがある」と書いていると発言すると、

椎名 なんだそれ?
目黒 何号も続いたっていうんだけど、そんなこと、初めて知った。
椎名 それは沢野の創作だな。
目黒 えっ、嘘なの!
椎名 あいつ、このシリーズの解説をずっと一人で書いているから、もうネタがないんだ。
目黒 とはいっても、だからといって嘘を書いちゃいかんでしょ。あなたも何も言わないの?
椎名 だって、いま初めて知ったもの。
目黒 困ったね。

となっていて、実は本になるときに著者がチェックしていないことが明かされる。

本の雑誌社の「新これもおとこのじんせいだ!」という本があり、テーマを決めて、それについて7人がエッセイを書くという形式の本なのだが、その時のテーマが、

  • 「恐怖」または「恐怖症」について
  • 「特異な料理」について
  • 「学校時代の思い出」について
  • 「ジンクス」「縁起」について
  • 「叶わなかった夢」について

だった。

椎名 そのテーマはどうやって決めたんだ?
目黒 あなたが決めたんだよ。前作もそうだったけれど。
椎名 安易だなあ。
目黒 それは言っちゃいけない(笑)。

この「本人に訊く」シリーズでもたびたび言及されているが、本の雑誌社の経済状況によりたびたび何かの本を出版することがあったようなのだが、この本もそんな一冊だったのかもしれない。前の本が割と楽にできたので、早くできると計算していたのだが、実際は2年ぐらいかかったようだ。

「秘密のミャンマー」では食べ物はあまりうまくなかったと椎名氏が言い、「ミャンマーといえばタナカだ」と発言する。

目黒 ミャンマーの女性が頬を中心として付ける日焼け止めね。タナカという木があるんだね。それを砥石のような石の上で水と一緒にワタビのように木質をおろし、それを顔に塗りつける。その習慣は十世紀ごろから始まっているんだって。インドが発祥地でそれがミャンマーまで伝わって、インドですたれた後もミャンマーには残っていると。
椎名 それがこの本に書かれているの?
目黒 あなたが書いたんですよ(笑)。いい本だよ(笑)。

と相変わらずの応酬がみられる。

「風のまつり」で目黒氏が「私小説でもなく、SFでもなく。例愛小説でもない。本当の普通の小説」と言い、椎名氏が「本にしたくなかった」と受ける。実際この本は、雑誌連載から13年が経ってから、出版されているのだ。そして、

椎名 な、そうだろう。十三年間も止めてたんだ。一応俺にも良識があるんだよ(笑)。
目黒 だったら最後までこういうのは出しちゃだめだって(笑)。

また、一方で「誠の話」は和田誠氏との対談集で、雑誌掲載から10年後に出版されている。こちらは忘れていたから出版が遅れたということだ。この中の定期代の話で、「椎名が三か月で三万七千二百八十円、和田さんが半年で三万二百四十円。すると椎名が、あっ、七千四十円勝ったというくだりがある」と目黒氏が引用し、

目黒 なんでも勝ち負けを決めたがる椎名らしい発言なんだけれど、この場合の基準がわからない。定期代としてたくさんお金を使っている方が勝ちならば、そもそも椎名は三か月定期なんだから和田さんと同じ半年定期を勝ったら(原文ママ)金額はこの倍近くになる。だから圧倒的に勝ちで、七千四十円程度の勝ちじゃない。
椎名 お前の言っていることがわからない。
目黒 面倒くさいから、ま、いいや(笑)。

と投げ出してしまっている。

<壱>を読んだ2か月後に<弐>が出ていたのに気づいていなかったのだが、もしかすると、そろそろ<参>が出ることなのだろうか?次の<参>はなるべく間をおかずに読むとしよう。