隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

王とサーカス

米澤穂信氏の王とサーカスを読んだ。さよなら妖精(単行本新装版) - 隠居日録から10年後、大刀洗万智は務めていた東洋新聞社を辞め、フリーのジャーナリストになったばかりだった。フリージャーナリストとして雑誌の旅行記事の仕事をする予定になっていたが、仕事が始まるまでまだ時間があったので、事前取材のつもりでネパールを訪れていた。それは2001年6月1日。そう、あのネパール王族殺害事件が発生するほんの少し前のネパールだ。王族殺害事件に遭遇した大刀洗万智は現地から日本の雑誌に寄稿するために事件の取材を開始するのだが、原稿締め切りまでには数日の猶予しかない。そんな状況ではあるが、ネパール軍の准尉に取材できることになった。しかし、准尉には王族殺害事件に関しては取材を拒まれてしまった。そして准尉に「なぜ日本人の記者が事件の取材をするのか?」と問われるのだが、大刀洗万智はそれに対して明確に回答することができなかった。その夜准尉は何者かに殺され、背中に「INFORMER」と傷がつけられてた死体が発見された。

大刀洗万智が登場すること以外の前知識なしに読み出し、いったい彼女は何を推理することになるのかと思いながら読み続けていた。途中まで、王族殺害事件の謎を解くのだろうかと思っていたのだが、本の真ん中で准尉が死体となって発見され、「そうか、こちらの方か!」と気づかされた。さすがに王族殺害事件の方はないだろう。

具体的にどういういきさつで准尉が殺されたかまでは語られていないが、警察でもない大刀洗万智に犯人がそこまで語る必要はないので、これはストーリー上しかたがないことなのかもしれない。でも、なかなか読みごたえのあるミステリーだった。

クロニスタ 戦争人類学者

柴田勝家氏のクロニスタ 戦争人類学者を読んだ。伊藤計劃トリビュート - 隠居日録に収録されていた南十字星の続きの物語だ。

南十字星は、脳にうえつけられた可塑神経回路網でパーソナルな感覚までも自己相を通して共有し、そのデータは平準化され「正しい人」という集合自我が更新され、それがフィードバックされてるような世界が舞台になっている。しかし、それを拒否して難民として生きている人々もいる。民俗学・人類学の観点から戦闘相手を理解し、戦争の展開に利用する人理部隊に属するシズマが主人公になっている。この物語は長編小説の出だしのようで、多分その長編とは「クロニスタ 戦争人類学者」だと思う。こちらも読んでみようと思う。

本書では、南十字星の章は「太陽に覆われた民」とタイトルを変えて、一章として収録されている。この章を読んだときは今後どのような話になるのか想像できなかったのだが、この所に出てきた金髪の少女(P39)とシズマの物語となっている。物語はこの少女の出自を巡り、シズマはやがて軍を離れ、陸軍・統合軍と戦うことになる物語だ。自己相でつながっていることにより平準化している人類が故に抱える欠陥。それを回避するための統合軍の極秘プロジェクト。「正しい人」という集合自我がありながら、未だに殺し合い・戦争を続ける人類。SFという枠組みを取っているが、実際には意識・認識とは何かに切り込んでいっている非常に興味深い作品だ。

タイトルに用いられているクロニスタであるが、聞きなれない言葉で、本文中で数回「文化技官」のルビとして用いられているが、最後には「歴史を伝える者」のルビとして用いられている。コトバンクによると

kotobank.jp

ということだ。そういう意味では、最後に出てきた「歴史を伝える者」という方が、言葉の定義に沿っているのかもしれない。