隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

植物はなぜ薬を作るのか

斉藤和季氏の植物はなぜ薬を作るのかを読んだ。著者は薬と書いているが、実際に植物が作っているのは化学物質で、それをわれわれが、役に立つものは薬、害になるものは毒と称しているだけである。このことを著者は明確には書いていないが、

植物は厳しい進化の歴史の中で、極めて巧みに設計された精密化学工場によって、多様な化学成分を作るという機能を発達させて、進化の歴史の厳粛な審判に耐えてきたのです。

それを、私たち人間は少しだけお借りして使わせてもらっているにすぎません。

と書いている。さて、なぜ植物は薬を作るのか?その最大の理由は、植物は通常自由に移動できないからだ。そのための生存戦略として化学物質を生成しているのだ。

同化代謝

生きていくためには細胞を構成するいろいろな物質を作らなければならない。また、活動・成長するためにエネルギーも必要である。動物は細胞の構成成分やエネルギーの許となる有機化合物を食物から得ているが、植物は空気中の二酸化炭素と、土壌中の無機塩類(窒素塩、硫黄塩、リン酸塩など)を使い、光エネルギーを与えてアミノ酸や糖などの有機化合物をつくる機能が発展した。要するに光合成である。

化学防御

捕食者、病原菌、競合する他の植物などの生物に由来する生物学的ストレスに対抗するため、植物は化学物質を合成して対抗する戦略を選択した。

  1. 捕食者に食べられないようにするために、苦い味、渋い味、または神経を麻痺させるような化学物質を生成するようになった。
  2. 病原菌に対しては、抗菌作用のある化学物質を生成するようになった。
  3. 他の植物に対しては、成長を阻害するような化学物質を生成するようになった。

非生物的ストレス対抗戦略

そのほかの生物に対してではない対抗戦略としては、葉の形や向きを変える形態的・機械的なメカニズムによるもの、また、環境の変化に対して対抗するために化学物質を合成したりしている。たとえば、乾燥や高塩濃度の環境では、それによって引き起こされる浸透圧の変化を緩和させるような物質を生産して対抗している。

繁殖戦略

植物は移動できないので、繁殖するために花粉を風に飛ばして他の花に運ぶ(風媒花)か、昆虫等を引き寄せて花粉を他の花に運ぶ(虫媒花)のいずれかの方法をとっている。この虫媒花においては、花の色や匂いにより昆虫を引き寄せているが、その色・匂いのために化学物質を合成している。

対毒制御

植物が生成する化学物質は、強い毒性を示すことがあるが、植物自身にはその毒性から守られているようだ。このことを自己耐性と呼ぶが、ではどのように毒から自らを守っているのだろうか?

  1. 毒を隔離する。 毒を細胞内にある「液胞」という小器官に隔離して保存しておく。まず、細胞内の液胞の外で毒性成分を合成して、すぐに糖を結合させ、毒性を無くさせる。この毒性をなくした「配糖体」を液胞に取り込み、細胞内の他の器官とは隔離して保存しておくのだ。外敵が来て、液胞が破壊された時に、液胞の外にある酵素が糖を取り除き、毒になって外敵に作用する。
  2. 細胞外に出す。 精製した毒物を直ちに細胞外に吐き出したり、あるいは腺毛という細胞の表面にある突起状の組織にある空洞に貯める場合もある。
  3. 自己タンパクの変異。毒成分は攻撃相手の標的タンパク質の作用を攪乱して、毒性の効果を発揮するが、自分自身にある同じたんぱく質も標的になってしまう。これを避けるために、標的となるたんぱく質を突然変異させ、本来の機能を損なうことなく毒に耐性のあるたんぱく質に変えるのである。

著者は薬学を長年研究されている研究者で、植物の合成する化学物質と薬という観点でも、本書の中で色々説明している。また、植物の遺伝的な解析から得られて知見により、バイオテクノロジーで薬を生成するというような話題にも触れていて、非常に興味深かった。

江戸時代役職事典

江戸時代役職事典を読んだ。タイトルは「江戸時代役職事典」となっているが、中身は「役職編」、「制度編」、「ひとと役職編」に分かれている。また、巻末に「江戸幕府役職要覧」が付録として採録されているが、この要覧に列挙されているすべての役職が、前半の部分で説明されているわけではないので、ちょっと残念だった。

今の世の中でもそうだが、時代が移り変わって、必要がなくなってしまった役職でもなかなか廃止されずに残っているというようなことは、江戸時代にもあったようだ。例えば「貝太鼓役」というのがある。以下のように記されている。

戦場において指揮を高揚するために、陣太鼓や法螺貝を鼓舞するために儲けられた役職である。太平の世となると、将軍が日光山に出かけたり、狩りの際に陣太鼓や法螺貝を鼓舞したりする儀式用の閑職となった。

「高揚する」というよりは、単に「指揮をするため」であろうと思われるが、戦がなくなると、全く必要のない職となってしまった好例であろう。腰物奉行もそのような例ではなかろうか。

将軍の廃刀、装飾具及び、諸侯に賜る太刀、刀、脇差や献上品の刀剣を掌る。古くは御殿物番頭と言った。

江戸時代はもっぱら後半の下賜・献上品の刀剣を扱う役目だったと想像される。

読んでいて、「おや?」と思ったのは「鳥見組頭」だ。

表向きの仕事は、将軍の鷹場である葛西、岩根、戸田、中野、目黒、品川の六ケ所をそれぞれ見張る役、および鷹に食べさせる雀の捕獲役である。しかし実際には、若年寄の支配のもと地形を調査するいわば諜報活動をすることが本務で、いわゆる隠密の役である。また、合戦の作戦図の作成の任に当たった。

このような隠密的な仕事が本来の役であったとは知らなかった。

将軍の側室を「御部屋様」とか「御腹様」とか呼ばれることがあるが、その違いについて書かれおり、これも知らなかった。

将軍の妾(側室)が、男の子を生むと、大奥に部屋をもらえたから御部屋様と言った。女の子を産むと御腹様と言った。

江戸時代の役職で非常にユニークなのが公人朝夕人(くにんちょうじゃくにん)であるが、この説明は載っていなかった。