隠居日録

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2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

知らないと恥をかくアフリカの問題 (多部族国家の問題ジンバブエ)

 NHKラジオ第二の「カルチャーラジオ 歴史再発見」で放送されていた「アフリカは今~カオスと希望と」の第六回目。今回は多民族国家ジンバブエのケース。

ジンバブエの独立

ジンバブエの現大統領は、ムガベ大統領、91歳で6期務めている。 

ジンバブエアパルトヘイト制を布いていた。そのため反植民地闘争が起こって、結果として1980年に独立し、1984年に一人一票の選挙を行いムガベ率いるNANUが第一党になった。

アフリカ大干ばつ

1985年のアフリカの大干ばつがあり、アフリカ全体で100万人の人々が死んだといわれるが、ジンバブエはひとりの餓死者も出さずに乗り切った。どうのように乗り切ったかというと、ジンバブエは農事指導員・農事普及員をジンバブエは育てていた。また、アフリカでなぜ干ばつが起きるのかも調べていた。

アフリカでは3~4週間の雨期の期間に大量に雨が降るが、それ以外の期間では雨はあまり振らない。干ばつが起きるときは雨期の最初の雨が続かづ、その時期に種を撒いても十分な雨が降らないので種が死んでしまうのだ。降ったり、降らなかったりのタイミングで種まきを繰り返してしまうと、種は死んでしまうし、作物は育たないし、いざ本格的な雨が降ってきたときに撒く種がなくなってしまう。

しかし、ジンバブエには頭のいい農事普及員がいた。彼は30センチぐらいの段ボールの緊急キットを作り、その中に、1週間ぐらい食べられるぐらいのトウモロコシの粉、1エーカーぐらいのトウモロコシの種、1エーカーぐらいの稗の種、肥料を入れて、配って歩いた。この緊急キットのおかげで、ジンバブエでは大干ばつの時も飢えることがなかった。

権力の腐敗

 90年代に入ると、ムガベ大統領が農業に興味を失ってしまった。なぜか?農業を重視しても、賄賂が入ってこないからだ。1990年ごろにハラレ国際空港の建設をフランスの企業が落札し、その結果ムガベ大統領に300万ドルのお金が渡ったという記事が地元の新聞に出た。そのため、軍の中でムガベ大統領に対して批判が起きた。軍に対して強い影響力を持っている7万人のゲリラ経験者に対して、ムガベ大統領は1997年に終身年金を払うことを議会にかけることなく決めてしまった。内容は、一時金として5000ドル相当、年金としてまた月300ドルを支給することになっていた。また、コンゴに対して政府軍を支援するために1万人の兵隊を派兵した。経費は一人当たり年間1万ドルかかるので、1万人派兵すると1億ドルかかることになる。これも財源の当てがないのに、決定してしまった。

なぜ、コンゴに派兵したかというと、ムガベ大統領は、秘書の女性に子供を産ませてしまった。この女性は空軍将校の妻であったが、夫と離婚させて、この女性と結婚してしまった。この奥さんにコンゴのゲコにあるダイアモンド鉱山を買ってやって、そのダイアモンド鉱山がコンゴの内戦で危うくなってきたので、コンゴに派兵したのだ。

 

このようなことで国の経済が混乱してしまった。なぜか、これを批判した財務大臣が交通事故で死んでしまった。そして、国民の不満が高まったので、白人の大規模農場を接収し、黒人に分配してしまったのだ。黒人は大規模農場を経営したことがないので、あっという間に行き詰まり、大規模農場で栽培していた煙草のような換金性のある商品作物による外貨の収入もなくなったのだ。なぜ、ムガベ大統領を辞めさせられないのか?ムガベ大統領はショナ族であるが、人口の7割を占めている。そのため、選挙をするためにショナ族の候補者が当選してしまうことになる。ジンバブエでのこの状況はあまりにもひどいということで、前回の選挙では、ショナ族から別な候補が出てきて、最初の投票で最多の得票を得たが、過半数を得ていなかったので、決選投票へともつれ込んだ。しかし、その選挙期間中2回も交通事故にあい、出馬を取りやめてしまったのだ。そして、ムガベ大統領が再任された後、その候補者は副大統領となった。

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