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隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

哲学探偵

読書 ミステリー

鯨統一郎氏の哲学探偵なのだが、これも随分前(2012年12月)に購入し、最初の一編だけ読んで、放置していたもの。なぜ、すぐに全部読まなかったのか、記憶になかったのだが、今回改めて全編読み返してみて、その理由がわかった。

本作品はユーモア推理に分類されるものだから、厳密な推理というものは期待していないが、それでもストーリー展開上起こったことがロジカルに説明されていなければ、読んでいてちっとも面白くない。

例えば、第一話の「世界は自らできている(タレス)」では、

二等辺三角形が崩れているんだよ。いいか。茂市と深津江は向き合って坐っていたんだろう。グラスの位置からもそれは確認できる。それに茂市が二等辺三角形にこだわっていたこともよく判るな。ボトルとコースターは見事に二等辺三角形を作っているじゃねえか」

テーブルの上にボトルがるのにわざわざキッチンまで行って水割りを作る理由がよく判らない。二等辺三角形にこだわり過ぎて、テーブルの上にボトルがあることにしたのだろうが、ストーリーとマッチしていないのだ。

第二話の「汝自身を知れ(ソクラテス)」では典型的な双子のトリックなのだが、長男が養子に出されるという状況が奇異に感じるし、それに関て何の説明もない。

第三話の「われ思う、ゆえにわれ在り(デカルト)」に関しては、ちょっとトリックに無理がりあると思う。駅の公衆トイレの中で人を殺しておいて、その凶器を見知らぬ第三者に渡すのが可能とは思えない。そのトイレがあまり利用されない場所にあるのならまだしも、上野駅の構内で、事件発生時多数の人が利用しているのにだ。

第四話「人間は考える葦である(パスカル)」も不思議な状況が記述されている。暴力団の孫娘が対立している組の息子と結婚したいからと言って、指を詰めて仁義を通すなどということがあるのだろうか?

第五話「純粋理性を求めて(カント)」においては、探偵があまりにも超人になっている。妄想力がマックスだ。被害者が加害者をゆすっていたことになっているのだが、探偵がいきなり妄想力でそれを言い当てるのだから、ストーリーも何もあったものではない。

第六話「厭世主義の暴走(ショーペンハウアー)」は気功で窓ガラス越しに相手を転倒されて死に至らしめているのだが、こんなことできるかどうか考えるのが苦痛になってくる。

第七話「神は死んだ(ニーチェ)」では、タイムカプセルとして埋めた壺の中に人の首が入っていたことになっているのだが、いくら暗いとはいえ、手品師でもないのに一瞬で偽物とはいえ壺の中に首が入れられるのだろうか?

第八話「存在と時間の果てに(ハイデッガー)」では、P287に

由衣の返事を聞くと、米倉は電話を切った。

と書いてあるのに、P294では、

「いえ。店の電話です。すぐに吉川が出ました。二時五分前ぐらいにかけて、三十分近く喋っていました」

なんか書いてあることが矛盾しているような気がする。

と、この本読んでいる最中、ずーと細かいところが気になってしまって、ちっとも楽しめなかった。