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隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

デカルトの密室

瀬名秀明氏のデカルトの密室を読んだ。SFにカテゴライズされると思うのだが、ミステリー要素も含まれている。が、実際に明確に謎が解決されるわけではない。ストーリーの中にいくつかの謎が示唆されている例えば、第一章の最後でケイイチがフランシーヌをを射殺するが、なぜ射殺したのか?また、第二章ではプロメテの会長青木英伍が殺されるが、なぜ殺されたのか、誰が殺したのか?また、タイトルのデカルトの密室とは何か?最後のデカルトの密室に関しては、P202に青木英伍の以下のような説明がある。

「私にいわせれば、君たち科学者は完全犯罪を黙って見過ごしている悪質な共犯者に過ぎない。<私>という比類なき自己意識がデカルト劇場の密室にとらわれていることを知りながら、見て見ぬ振りをしている偽善者に過ぎない。それどころかきみたちは、ロボットにも意識を与えられるかのように振る舞い、さらなる犠牲者を生み出し続けている。厚顔無恥とは君たちのことだ。科学者ならそこにある<私>を救い出さなければならない。デカルトの密室の謎を解き明かす探偵でなかればならない……。

人の意識モデルをそのままAIなりロボットに適応できるかどうかの疑問があるのだが、デカルト劇場のモデル自体人に関しては当てはまっていないので、そのような密室があること自体を否定すればよいだけだと思われる。

ただ、この小説は非常に読みにくい。色々な概念が専門用語がいっぱい出てくるので、内容を追うだけでも結構大変だ。更に、本来なら作者しか知らないことを何の説明もなくストーリーを進めるので、いろんなことがもやもやしたまま、最後まで解決されない。例えば、尾形が作ったケイイチというロボットに関して詳しい説明がなく、二足歩行できるらしいのは読んでいてわかるのだが、大きさとかに関しては具体的には書かれていない。また、いったいどのような構造になっているのかも、説明がない。それに、一ノ瀬玲奈に関しても、その関係性がストーリー上大した説明もなく進行しているのだ。この作品は先行する作品があるらしいので、そちらに書かれているかもしれないのだが、最小限の説明があってもよいだろう。

また、この小説はケイイチが記していることになっている部分と、尾形が記している部分と、第三者の視点で書かれている部分が入れこのようになっていて、突然切り替わることがあるのだが、ケイイチも尾形も「ぼく」という一人称を使うので、パッと切り替わるとどちらの視点のどのストーリーなのかわかりにくい。

これは、視点ではなく時間的な話になるのだが、P178からの時間系列がわかりにくいし、その必然性が見えない。

この部分はケイイチが記述していることになっているのだが、最初、玲奈が帝国ホテルで待っている青木英伍に会いに行くシーンが記述され、次に、青木英伍の著書の内容に触れ、第一章の事件の前日に青木英伍が玲奈のケンブリッジでの学会発表を見に行き、質問した場面に移り、そして、その夜のセジウィック博物館で再度玲奈と青木英伍があったところになり、そこで見たであろうフランシーヌの映像の説明に移る。そして急に、

「君の質疑応答には失望した。

となる。この流れていくと、この場面はケンブリッジでの学会での質問のことだと思われるので、セジウィック博物館の所に戻って来たかと思うと、実は最初の帝国ホテルの場面なのだ。

また、P211ページの時系列も妙だ。ただ、ここは6を挟んでのことなので、わからなくもないが、

「よし、起動してみよう」

僕の身体がPCの正面へと向き直った。両肩がわずかに上に上がり、ぼくの目の前で僕の両手がキーボードに置かれる。

と書かれていれば、起動した後のことだと思われるが、この後で書かれていることは、はるか昔のことで、前の所と何の関係もない。なぜこの場面をここに挿入したのかの意図が掴みかねる。

それとちょっと気になった表現がP306にある。

外づけのハードディスクに繋がれて、長い長い検査をうけた。
このような表現だと、外づけのハードディスク検査装置のような錯覚を覚える。
FP(フランシーヌ・プログラム)について言及するのを忘れていた。このようなありとあらゆるコンピュータに寄生するようなソフトウェアについて書くなら、嘘でもいいからその仕組みを説明すべきだ。OSに依存せず、使用してるプロセッサにも依存しないようなソフトウェアを想定しなければ、このようなことは不可能だが、果たしてどのような仕組みを筆者は考えていたのだろうか?何もないなら、このアイディアはあまりにも安易すぎるし、使いまわされ過ぎている。