隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

NHK第二 文化講演会 真田幸村と大坂の陣

久しぶりにNHKの太河ドラマ「真田丸」を一回目からずーと見ているのだが、NHK第二の文化講演会でシリーズ真田丸と称して、9月11日に以下のような放送をしていた。

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 この中で面白かったところ。

信之の助命嘆願

本来なら首をはねられてもおかしくない真田 昌幸・信繁なのだが、信之の助命嘆願により、命を取られることだけは免れた。ここで、重要な点は信之の妻の小松姫が形の上で家康の養女であった点だそうだ。そのおかけで信之は家康の娘婿という立場であったのだ。これが、助命嘆願が成功した理由の一つらしい。

高野山での生活費

真田 昌幸・信繁の高野山九度山での生活費は信行が負担していたのだが、その額がびっくりするような金額なのだ。真田正幸が1月5日付で書いた手紙に、

蔵人所より臨時の合力四拾両の内弐拾両、原半手前より指し上げ候。慥に請取り候。爰元借儀あまた候間、如何共当年の仕合成らず候条、残二十両の事一日も早く上げ候様に、...

先ず残り二十両の金、早々指し上げらるべく候。

当時の一両はだいたい三十万円ぐらいだったそうで、四十両あれば一千二百万円になる計算で、この時点で半分の六百万円が贈られてきたということになる。いったい何に使っていたのだろうか?しかも、これは臨時の仕送りなのだ。

信繁への支度金

駿府記」の中に京都所司代の板倉伊賀守勝重が家康に送った手紙の記録があるが、

 秀頼、当座の音物として黄金二百枚、銀三十貫を遣わし、大坂に籠城。

金一枚は十両なので、六億円、銀三十貫で一億五千万円で、合わせて七億五千万円が用意された。

秀頼への感謝

慶長見聞書に信繁の叔父の真田信尹が信繁の所に家康の使者として赴き、徳川に寝返ったら、十万石を与えようと告げた。その回答は、

自分たちが関ヶ原の合戦で敗れて、高野山に行ってから、物乞いのような生活をした。そんな厳しいところに、秀頼公が声をかけてくだされ、召し出してくださった。そして、一つの廓を任せてくれた。武士としての誇りを取り戻すことができた。本当にありがたき幸せである。

だった。秀吉への恩顧というよりは、秀頼への感謝が優っていたということか。

今ならストリーミングで全編聞ける。

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