隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

犬飼六岐氏の蛻を読んだ。尾張徳川家下屋敷には戸山荘という庭園があり、その中には東海道の宿場町を再現した町山であったという。物語は享保、八代吉宗の時代に、この戸山荘の宿場町である御町屋に、当時の藩主の宗春がより実際に近い町屋を再現するために本物の町人を住まわせしまったという虚構の物語である。御町屋に住んでいるのは七十名ほど、尾張名古屋の町人が報奨金五十両につられて、三年間その仮想の街に住むこととなり、一年たったところから物語が始まる。

この御町屋にはしきたりがあり、この御町屋を見学・遊覧に来るものがあったときは、「立ち退き」をしなければならないのだ。ただし、あたかも人が住んでいるという雰囲気・気配は残すが、実際の人はいないという状況にしなければならない。また、この御町屋から勝手に立ち退くこともできない。ここは、江戸の中の尾張徳川家下屋敷の中なのだ。

ある日の夜、この御町屋で事件が起きる。住民の一人の幸次郎の死骸が発見された。そして、死体の第一発見者の左之助が真っ先に疑われた。こういう筋立てだとミステリーのようだが、著者はミステリーを意識してはいないと思う。幸次郎は刀傷が原因だと医師の順庵は主張するのだが、この御町屋には刀などない。また、左之助は自分の疑いを晴らそうと、他の住民への聞き込みなどを行うが、もともと探偵としての素養がないので、事件解決には直接結びつかない。

そうこうしているうちに、「立ち退き」の間に病人が出て、死んでしまうのだ。もともとみな報奨金目当てでこの町にやってきた連中だが、このような状況になると、後残りの二年間住むことに嫌気を指すものが出てくる。そして、三人目の犠牲者が出て、住人たちの限界も頂点に達してしまう。

ちょっと気になったのは、犬飼六岐氏は大家と家主を混同しているのではないかと思えるのだが、江戸と尾張では意味合いが違っているのだろうか。