隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

知らないと恥をかくアフリカの問題 (国の富の切り売り 中国の進出)

NHKラジオ第二の「カルチャーラジオ 歴史再発見」で放送されていた「アフリカは今~カオスと希望と」の第十一回目。崩壊状態になっている、あるいは崩壊に近い状態になっているアフリカに中国がどんどん入ってきているという話。

スーダン

70年代にスーダンの南部にかなりの量の石油が地下にあることをアメリカにあるシェブロンという会社が発見した。アメリカは90年代に入り、スーダンがオサマビンラディンを匿ったということで、経済制裁を科した。その結果、シェブロンを含む西側の企業は一斉にスーダンから手を引かざるを得なかった。そのあとに入ってきたのが中国だった。これは中国にとっては非常に楽だった。というのも、石油がどこに、どれぐらいあるかを調査する必要がないからだ。

中国のCNPC(中国天然石油天然ガス集団公司)が99年から採掘を開始し、首都ハルツームとポートスーダンという港に広大な精油所を作った。広さはだいたい25平方キロメートルぐらいである。南部の石油地帯からハルツームまで800km、ポーとスーダンまで1500kmのパイプラインを引いて、石油の生産を始めた。07年には一日に50万バーレルの石油を生産した。50万バーレルのうち半分の25万バーレルが国内消費分としてハルツームに送られ、残りの25万バーレルが輸出用としてポーとスーダンに送られた。そして、輸出用の25万バーレルのうち86パーセーントが中国の送られた。

石油採掘・精製・パイプライン警備を中国は一手に引き受けており、2万人ぐらいの中国人が働いているらしい。また、その石油採掘の人々を当てにして、スーパー、レストラン、運送業などで1万ぐらいの中国人が働いているらしい。

レストランでは豚肉も出すし、アルコールも出している。レストランのオーナー(27歳)は2002年に2万ドルをかき集めてスーダンに来て、レストランを開き、月に2万ドルの売り上げがあり、借金は一年で返したということだ。また、スーパーでは、40フィートコンテナを月に一度中国から輸入し、6万ドルの売り上げになり、一万ドルのもうけになるということだ。

当然、スーダン人から中国人への反感が出てくる。スーダン人はイスラム教徒であり、豚肉は食べないし、酒も飲まない。また、中国政府はスーダンの石油を国外に持ち出しているからだ。

アンゴラ

石油の埋蔵量は80億トンあるといわれている。ここに2004年にODAで中国が進出してきた。20億ドルのODA(住宅建設、道路補修、鉄道復旧)を中国が丸ごと落札して、そのための労働者も資材もを中国から持ってきて、建設を始めた。ODAのためにアンゴラの労働者は一切雇わなかった。なので、20億ドル分は全て中国に還流してったわけだが、20億ドルの借金はアンゴラに残る。その代り中国はに日量一万バーレルの石油を17年間返してもらうという取り決めをアンゴラとした。

南アフリカ

4800万の人口のうち800万人は白人で、残りが黒人である。アパルトヘイトの時代はアフリカ人相手の商売はあまり活発ではなかった。そこに、アパルトヘイト後に中国人が入ってきた。衣料、雑貨、電化製品、自転車などの卸売りを始めて、これが一気に広まった。エリスパークというスタジアムの隣にチャイナシティという卸売り専門のビルができ、500軒の業者が入っている。ここであるクリスマスのシーズンの一週間に40億円売り上げたということがあったらしい。今やヨハネスブルグに8か所に卸売りセンターがあり、8か所で2000軒の業者が入っている。

アパルトヘイトが1991年が終わり、その時中国人は500人ぐらいだったが、今30万人の中国人がいる。また、今アフリカ全体で中国人の人口は100万人を越えたといわれている。

新しい植民地支配

かっての植民地支配は原料を買って、製品を売るという形式であった。

  • イギリスはインドで綿花を作らせ、それをイギリスが買い、織物にして、インドで売る。
  • フランスはセネガルで落花生を作らせ、それを買って、落花生オイルにして、現地で売る。落花生を作るために、主食のトウモコロシの畑を潰し、アジアからコメを輸入して、現地で売る。

今の中国のアフリカの関係を見ていると、資源を持ち出して、製品を売るという、かっての欧米諸国がやっていた植民地支配と非常に似ている。かっては武力で支配していた植民地を、相手国政府の要人に便宜を図ることで取り入り、利権を手に入れている部分が違っているところだろう。

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