隠居日録

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2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

知らないと恥をかくアフリカの問題 (ボツワナの発展)

 NHKラジオ第二の「カルチャーラジオ 歴史再発見」で放送されていた「アフリカは今~カオスと希望と」の第十三回目。最終回ではアフリカに訪れている明るい兆しに関する話題。

ボツワナ

ボツワナの人口は200万人ぐらい。1980年ごろには一人当たり年間所得1000ドルぐらいであったのが、今は7700ドルぐらいになっている。これはアルゼンチンとかインドネシアと肩を並べるぐらいだ。南アフリカが7000ドルなので、南アフリカよりも裕福になっている。なぜこのようなことが起きたかというと、それはダイアモンドのおかげだ。ダイアモンドはかなり早い時期(1967年ごろ)に見つかっていて、これを掘ったのは南アフリカのダイアモンド会社のでビアス社だ。2012年になり、ボツワナは世界一のダイアモンドの生産量を記録した。今や世界のダイアの生産量の四分の一(3400万カラット)を占めている。国の輸出額76億ドルの9割がダイアモンドとその関連製品である。

デビアスは自社のダイアモンド取引所をロンドンに持っていたが、2012年にそれをボツワナに移した。その時、ボツワナデビアスでデビスワーナという合弁会社を作り、デビスワーナが国際取引を運営するようにした。そのため、ダイアモンドディーラはボツワナに行かなければ商売にならなくなった。そして、ただ単に取引所を移したのではなく、その前5年ぐらいかけて、ダイアモンドの研磨学校、ダイアモンドの鑑定士学校、ホテルマンの養成学校、タクシー・バスの運営、ホテルなどのようなものを作っいた。ちょうど養成学校の生徒が卒業するときに合わせて、取引所をボツワナに移したのだ。このことにより、ボツワナで一気に職ができたのだ。そのため、外国(南アフリカ)に出稼ぎに行く必要がなくなり、将来に夢が持てる、張りが持てるようになった。

アフリカの労働の最大の問題は、労働側は遅刻と無断欠勤、雇用側は給与の遅配・欠配が当たり前なことだ。デビアスが入っていることにより、給与の遅配・欠配がない。また、デビアスが労働者の教育を行うことで、遅刻と無断欠勤がなくなった。そうして、ボツワナではダイアモンド取引所を中心に経済が回り始めた。

ボツワナの特殊性としては部族主義に陥らなかったということがあるが、将来への希望が国の発展につながった好例である。

モザンビーク

南アフリカの経済力はアフリカ全体の三分の一に及んでいる。その経済力が、アパルトヘイトに対する制裁で外に出ることができなかった。それが、ネルソンマンデラが大統領になった1994年から、南アフリカの経済力は外に影響し始めた。一番大きなものは投資である。モザンビークに対して最初に進出したのはホテルであったが、最大の物はアルミニウムの精錬である。モザンビークは資源としてはアルミニウムを持っていないが、オーストラリアから輸入して、モザンビークで精錬している。アルミの精錬には莫大な電力が必要だが、モザンビークにはザンベジ川にカオラバッサダムがある。多分世界で一番大きな発電量であろう。発電量は2000MW/h(黒四ダムの発電量が3300MW.hなので、6倍から7倍の発電量)。モザンビークにはほとんど工業施設がなかったので、ほとんど無駄になっていた。そこに南アフリカ開発公社が目をつけ、イギリスの会社と日本の三菱商事、それとモザンビーク政府に声をかけて、出資を募り、南アフリカ開発公社が主体となり、モザンビーク・アルミニウム(モザール)を設立した。2000年に生産を開始し、2006年には20億ドルの売り上げがあった。これはモザンビーク最大の輸出産業となった。モザールの従業員は1200人だが、内部に保育所とか食堂などの厚生施設があり、原材料の輸送、清掃、警備などの関連企業を含めると、大小400社の会社があり、3000人の雇用を生み出した。アフリカの場合は一人の労働者が8人を養うので、3000人の雇用で24000人が生活できることになる。この24000人が金を使うことになるので、経済活動が活発になった。

 ここでも労働者教育を行い、そのかわり給与の遅配・欠配は起こらない。

ソマリランド

ソマリアそのものは民兵集団の力の張り合いになっていて、武器の数・兵隊の数でお互い争っている。ところが、ソマリアの北部のハルゲイサという地域の長老たちが『武器のない社会を作ろう。平和な社会を作ろう」ということで、ボロマという町に集まって、何度も会議を開いた。その会議で、武装解除をして、自分たちの政府を作ろうという方針を固めた。これを国連開発計画(UNDP)が聞きつけて、武装解除の方法を教えた。当時そのエリアには民兵が5万人ぐらいいたが、UNDPはそのうち1万人は軍隊に、5000人は警察に、5000人は看守に、残りの3万人は武器を返して、民間人になるという方法を提示した。そして、軍隊教育・警察教育を徹底して行った。ドイツが武器の管理の教育に協力した。武器の管理により治安が保たれるようになった。残念ながらソマリランドは国とは認められていない。

まとめ

アフリカは能力がないからダメなのではなく、インチキな国境線で独立させられてしまったのが不幸の始まりだ。そのため、一つの国の中に複数の部族を抱えてしまった。結果、国民国家を作れなかった。その悲劇が大きな問題になってきている。それが腐敗を生み出し、欲求不満を生み出し、治安の悪化を生み出している。治安の悪化のために、人々は安心して経済活動を続けることができない。したがって、社会全体が停滞していく。

ちょっときっかけをつかむと、ボツワナモザンビークのように発展していく可能性を秘めている。武器の管理も、ソマリランドのようにできるようになる。

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