隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

図説「合戦図屏風」で読み解く!戦国合戦の謎

小和田哲男氏監修の図説「合戦図屏風」で読み解く!戦国合戦の謎を読んだ。この本を読む前は、合戦図屏風から「戦国合戦の謎」が読み解けるのかと思ったのだが、実はそんなに単純な話ではなく、やはり謎は謎のままであった。

「はじめに」に以下のように書かれている。

そのもどかしさを解消してくれるのが、「合戦図屏風」である。文章だけではつかめなかった合戦の情景が目の前に鮮やかによみがえってくる。

この点が合戦図屏風の最大の利点であろう。ただしである。合戦図屏風と言えども合戦のその場で下絵が書かれたわけではない。それらは軍記物や家譜がもとの資料となっている。描き手が合戦について知識があるので、文章を絵にできるわけだ。また、注意しなければいけないのは、誰がその屏風を描かせたか?発注元は誰かというとこを念頭に入れておかないと、描かれている内容を見誤ることになる。

例えば、長久手合戦図屏風がある。成瀬家本として伝わるものには成瀬家初代の成瀬正成が2か所にわたって描かれているが、この成瀬家本を祖本としているはずの大阪城天守閣本や徳川家本には成瀬正成は描かれていない。本書では、成瀬家本に先行する屏風があり、成瀬家本が作られた時ににあえて成瀬正成を描きいれたのではないか、他の屏風は先行する屏風を写したのではないかと推理している。成瀬家は徳川直参であったが、尾張徳川家の付家老になりその地位が固定してしまい、陪臣になってしまった。そのため、祖先の功績・勲功を示そうとしたのではないかという推理だ。

また、近年の研究で真田丸大阪城から独立した城であるということがわかってきたが、東京国立博物館所蔵の「大坂冬の陣屏風」(成立江戸時代後期)では、大阪城と接続する出丸の形になっている。つまり、いつごろに書かれたかということも重要なのだ。当然合戦と屏風成立の間に時間が経過していれば、間違った情報に基づいて書かれてしまうこともあるであろう。

賤ヶ岳の合戦図屏風も大阪天守閣版と岐阜市歴史博物館版では描かれている七人の武将が異なっており、福島正則が大阪天守閣版では含まれていない。これはも屏風を獲得に参考にした書物が異なっているために、このようなことになっているということだ。