隠居日録

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2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

籠城 戦国時代に学ぶ逆境のしのぎ方

 

榎本秋氏の籠城 戦国時代に学ぶ逆境のしのぎ方を読んだ。この本も「いったい戦国時代はどのように兵士は戦っていたのだろうかという」疑問の答えを探すために読んだ。本書は第一部と第二部という構成になっており、第一章には「城の分類と歴史」、「城の作り方」、「城をめぐる戦いの様相」が書かれている。第二章は戦国「籠城」名勝負四十番と称して、有名な籠城戦について概略が語られている。

城には要塞・砦としての側面と統治するための拠点としての側面がある。要塞としての城は天然の険峻な山をそのまま防御設備として利用する方法が用いられた(山城)。また、山城の特に有利な点は、武士は「馬に乗らないと自由に動けないのに、馬では山に登れない」(P15)ことがあったようだ。

我々が今日見ている城はほとんどが戦国末期から江戸時代以降につくられたもので、後者の統治するための拠点としての城である。当然統治するための拠点であるので交通の便が重要であり、城が置かれるのは平地(平城)であったり、山の麓の丘(平山城・丘城)などである。これらの平城は山城のような地形的な防御機能が期待できないので、堀・石垣・櫓などにより、防御を高めている。

また、城は用途により「本城」と「支城」の別れ、「支城」の「支城」もある。更には、戦場で臨時につくられる城もある。この場合は実際は城というよりも砦としての性格が強いとは思われる。有名なのは秀吉の墨俣の一夜城だろう。

織田・豊臣時代を経て山城から平城に代わっていくが、その理由の一つに騎兵中心から歩兵中心に部隊編成が変わったことが本書で指摘されている(P32)。歩兵中心になったので、騎兵に不利な山城である必要性が薄れたためだ。

本城を築く場所を選定するのに、中国から伝わった「四神相応」という思想が重要視された(P44)。ここでいう四神は玄武、白虎、朱雀、青竜である。北に高い山、西に広い道、南に低い窪地、東に川があるような土地が選定された。

本書の三分の二を占める第二部は各籠城戦のダイジェスト的な感じだったが、信長・家康連合軍と武田軍が激突した長篠の戦の所に興味深い記述がある(P99)。

連合軍勝利の決め手となったのは、鉄砲だけでなく兵、槍、弓、馬などすべての面において数量が武田軍のそれを上回っていたことと、そして合戦前に作り上げていた「城」にあったようだ。とはいっても、建物としての城ではない。陣取った丘陵の斜面やそこを流れる川を自然の防御手段として活用しつつ、空堀を掘り、土塁を築き、柵を立てて、ある種の野戦築城を行ったのである。

長篠の戦では、鉄砲の他に馬坊柵がよく出てくるが、それだけではなく更に防御のための手段を講じていたということか。鉄砲隊と騎馬軍団に、この記述の元となる出展が書かれていた。