隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

メビウス・ファクトリー

三崎亜記氏のメビウス・ファクトリー を読んだ。

政府が、「今後、すべての地方都市を維持することはできなくない」と切り捨て宣言をした世界の物語。すでに放棄された地方自治体も存在し、そこには姥捨ての老人達、国の支配を是としない自由主義者ワーキングプアで食い詰めた若者たちが住んでいると言われている。しかし、その町はME総研という企業のおかげですべてがうまく循環していた。この企業では国民生活に必須と言われているP1という製品を製造しており、住民はその製造に従事し、衣食住、娯楽が提供される町に住んでいる。町では独自の電子マネーが流通しており、給料も電子マネーで支払われ、ありとあらゆる支払いも電子マネーで済んでしまう。住民は町の外に出る必要は全くないし、実際は町の外に出ることは制限されていた。

少年の時にその町を離れ、15年ぶりにもとっで来たアルトの視点と、製造されたP1が正しく作られているかどうかを鑑定する新米鑑定士の遠山の視点、自惚れ屋で承認欲求の強い日比野の視点で物語は進行していく。

物語の中ではP1がいったい何物なのかということは説明されない。また、町には自治体というものがなくME総研内の「お付くし」と言われている部署が町の自治体機能を担っている。その部署は徹底した管理体制で住民を管理下に置いている。また、労働は「奉仕」、給料は「お戻り」と呼ばれており、「お疲れ様」や「ありがとう」の挨拶はすべて「お巡り様」と称される。このあたりはカルトにおける労働を想像させるような記述になっている。とくに、P1製造には正確性でも素早さでもなく、真心を込めることが求められる。真心がこもっていないP1は「みたま欠け」と呼ばれ、大変な問題となる。

アルトは戸惑いながらも街に溶け込もうと努力するが、徐々に町の異様さに気づき、反旗を翻す。そして、徐々に町で何が行われているかが明らかになっていくのだが、最後の章で何が真実かわからなくなる。そう、この本のタイトルはメビウス・ファクトリー 。表だと思っていると、いつのまにか裏になってしまう。この小説は何が本当のことかわからなくなる、不安を掻き立てる小説だ。きっちりとした結末を望むのならば、物足りなく感じるだろう。