隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

あしたはひとりにしてくれ

竹宮ゆゆこ氏のあしたはひとりにしてくれを読んだ。

主人公の月岡瑛人は東京都内の難関と言われている男子校の高校二年生。子供の頃から親を困らせることもなく育ってきて、「いいこ」で過ごしてきた。そんな瑛人はおばけに見られている感覚にとらわれていた。

本当のおまえを知っているよ、と。
油断したらおまえは爆発するんだよ、と。
一度爆発したらそれは次の爆発を呼ぶ。始まった連鎖は止められない。次々弾けて、すべて吹き飛ぶ。忘れるな、おまえが持っていると思う、そのすべてがまやかしだということを。

そんな風に、お化けに言われているような気がし、そして視線が気になる。そう思い知らされるから、瑛人はおばけが怖かった。怖いから、いなくなって欲しかった。だからおばけを消そうとする。

プロローグで繰り広げられる描写が、実はこのお化けを消す儀式なのだ。最初にプロローグを読んだときは、この小説ではいったい何が起きるのだろうかと、ちょっと身構えてしまったが、この儀式はそのプロローグに書かれているだけで、おばけの視線が耐えられなくなったその日には実行できなかった。なぜなら儀式の場所の河川敷に夜中に行くと、何もなかったはずの場所が不法投棄のごみの山で、儀式の重要なアイテムであるクマのぬいぐるみを見つけることができなかったからだ。何とか見つけようとあちらこちらを掘り返してみたが、見つからない。クマのぬいぐるみの代わりに、生き埋めにされていた女を発見した。その女を助け出し、なんと家に連れて帰ったのだ。

なぜ瑛人がクマのぬいぐるみを使ってそんな儀式をしているのかは前半の方に書かれている。瑛人は二歳の頃実の親に捨てられ、月岡家に養子として迎えられた。養子のことは瑛人も知っているし、家族内の秘密ではない。生まれた家から唯一持ってきたのがクマのぬいぐるみだった。瑛人は月岡家で幸せに暮らしていたが、どこか満たされないような感覚がずうとあった。自分が根のないような気のように感じられて、全てを支える底の部分が、すこっと抜けているように思えて仕方がないのだ。中学二年の冬のある日、なぜかクマのぬいぐるみに見つめられているような気がして、いてもたってもいられずに、あの儀式を始めてしまったのだ。

家に連れて帰えった女は名前を聞いたら、瑛人の妹の持っていたアイスを指した。それでアイスと呼ばれることになったのだが、紆余曲折あって、居候二号として月岡家に住むことになった。実は居候一合の高野橋という親戚らしい謎のおじさんなのかお兄さんなのかがいた。

本の半分ぐらいの所から、これは一体どこにストーリーが進んでいくのだろうとずうと考えていたのだが、ちょっと最後の所は盛り上げる欠けるように思われる。アイスの正体も、高野橋さんの正体も明かされるが、結局瑛人のおばけがどうなったのかが明確に書かれぬまま終わってしまっているのだ。