隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

新版 動的平衡: 生命はなぜそこに宿るのか

福岡伸一先生の「 新版 動的平衡: 生命はなぜそこに宿るのか」を読んだ。本書は2007年に刊行された「動的平衡」を新書化するにあたり、その後の研究成果を反映させて加筆・訂正された「新版」である。

動的平衡とは

福岡先生というと「動的平衡」という言葉が有名だが、今までこの言葉が実際にはどのようなことを意味しているのか厳密には知らなかった。以前から興味があったのだが、残念ながら福岡先生の本を読む機会がなかったのだ。この本を読めばそれに関して説明してくれているのだろうと思い、最初から読み出したのだが、いつまでたっても、核心に触れるような記述があまり出てこない。この言葉の意味するところはきっと、平衡状態が静的に安定しておらず、常に変化しながらバランスを保っている状態なのだろうと想像していたのだが、それと生命活動・現象との結びつきが今一つピンとこず、そうこうしているうちに、第8章の後半でようやく説明が現れる。そして、第9章の「動的平衡を可視化する」まで来てしまった。ここで初めて動的平衡についてモデルを使って説明しているのだ。この章を一番最初に持ってくるのもどうかと思うが、「動的平衡」の説明は是非とも前半に入れてほしかった。実は、動的平衡は、巻末の「新書化に寄せて」で実に簡潔に以下のように表現されている。

動的平衡とは、合成と分解、酸化と還元、切断と結合などの相矛盾する逆反応が絶えず繰り返されることによって、秩序が維持され、更新されている状況を指す生物学用語で、私が生物学者として生命を捉えるとき、生命を生命たらしめるもっとも重要な特性だと考えているものである。

それに付け加えると第8章にある、

つまり、そこにあるのは、流れそのものでしかない。その流れの中で、私たちの身体は変わりつつ、かろうじて一定の状態を保っている。その流れ自体が「生きている」ということなのである。シェーンハイマーは、この生命の特異的なありようをダイナミックス・ステイト(動的な状態)と呼んだ。私はこの概念を更に拡張し、生命の均衡の重要性をより強調するため「動的平衡」と訳したい。英語で記せばdynamic equilibriumとなる。

や、P34にある

生命現象が絶え間ない分子の交換の上に成り立っている、つまり動的な分子の平衡状態の上に生物が存在する。

の説明がわかりやすいだろう。

生命と工学・テクノロジー

さて、「動的平衡」の定義はさておいて、本書の内容は非常に面白く、「生命」の研究者・生物学者ではない読者には色々な発見・気づきがあるだろう。まず、最初のプロローグで福岡先生は「生命現象は本来のテクノロジーの対象になり難い」という。つまり、「工学的な操作、産業上の規格、効率よい再現性にはなじまない」という。バイオテクノロジーとか生命工学という言葉から、このようなことが可能であるような印象を受けていたので、この文章にはちょっと驚いた。


体内時計と一年の感じ方

体内時計による加齢に伴う一年の長さの感じ方の話も真偽は別として興味深い。細胞分裂のタイミングや分化プログラムなのどの時間経過は、全てたんぱく質の分解・合成のサイクルによってコントロールされている。つまり、新陳代謝の速度が体内時計の基準クロックとなる。そして、この新陳代謝の速度が加齢とともに遅くなるのだ。つまり、加齢とともに新陳代謝サイクルで計測した1年は長くなる。しかしこの新陳代謝の速度が遅くなったことを自分自身では感じられない。

完全に外界から遮断されて事故の体内時計にだけ頼って「1年」を計ったとすれば、三歳の時計よりも30歳の時計の方がゆっくりしか回らず、その結果「もうそろそろ一年が経ったなあ」と思えるに足るほどの時計が開店するには、より長い物理的な時間がかかることになる。つまり30歳の体内時計がカウントする1年の方が長いことになる。
タンパク質の代謝回転が遅くなり、その結果、1年の感じ方は徐々に長くなっていく。にもかかわらず、実際の物理的な時間はいつも同じスピードで過ぎていく。
だからこそ、自分ではまだ1年なんて経っているとは全然思えない、自分としては半年ぐらいが経過したかなーと思った、そのときには、既にもう実際の一年が過ぎ去ってしまっているのだ。

骨を調べれば食べ物がわかる

自然界には質量数12の炭素と13の炭素がある。ヒエ・アワと言った雑穀類やトウモロコシのような穀物類は質量数13の炭素を好んで光合成をおこなう。その結果、これらの炭水化物には通常よりも多い比率で質量数13の炭素が濃縮されることになる。沖縄中部の野国貝塚のイノシシの骨からは質量数13の炭素が多く検出された。これはイノシシが人間と同じ穀物を食べていたことを意味している。野国貝塚の住人がイノシシを家畜化していたかどうかわからないが、家畜化されたイノシシを手に入れていたことは確かだ。また、窒素には通常の質量数14の窒素と、質量数15の重窒素があり、食物連鎖の上位に位置するものほどタンパク質中の重窒素の割合が多いことが知られている。このことから、骨を調べれば、どんなものを食べていたのかわかるというのだ。

P80 合成と分解の動的な平衡状態が生きているということであり、生命とはそのバランスで成り立つ効果である

部分は全体の総和ではない

生命は、機械の様にいくつもの部品を組み立てただけで成り立っているわけではない。このことはいくら試験管の中で生命の元となるたんぱく質を合成しても、生命が発生しないことから自明だ。福岡先生は「時間(正確にはタイミング)」が重要だと考察している。あるタイミングに、この部品とあの部品が出現し、エネルギーと情報が交換されて、ある効果が生み出される。その効果の上に、次のステージが準備される。次の瞬間には別の部品が必要であり、前のステージの部品は不必要、更に言えば、そこにあってはならない(分解されているべき)。このような不可逆な時間の折りたたみの中にのみ、生命が成立すると考察している。

カニバリズムを忌避する生物学的理由

植物の病気は動物にはうつらない。昆虫や魚、鳥の病気もそう簡単にはヒトにうつらない。これは、分子認識の差による「種の壁」のおかげだ。カニバリズムが殆どの民族でタブーとされてきたのは、私たちを病原体から守る「種の壁」を無視するからで、食べられるヒトの体にいた病原体をごっそりと自分の体内に移動させるからだ。

パプアニューギニアにクール―病という風土病があった。パプアニューギニア島の南部高地にすむフォレ族の間で1950年から1960年にかけて広がっていた病気だ。この病を研究し、撲滅したのが、後年ノーベル生理学・医学賞に輝いたダニエル・カールトン・ガイジュセックだ。彼は現地入りして、フォレ族と暮らし、言葉や文化を学びつつ、クール―病の研究をつづけた。そして、このクール―病がフォレ族に伝わるある儀式に関係しているのではないかと推測した。その儀式とは、死者の脳を食べることだ。ガイジュセックはクール―病の病原体を特定することはできなかったが、この習慣を止めさせた。そうすると、クール―病は一世代のうちにほとんどいなくなった。