隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

脳はなぜ都合よく記憶するのか 記憶科学が教える脳と人間の不思議

ジュリア・ショウの 脳はなぜ都合よく記憶するのか (原題 The Memory Illusion)を読んだ。

錯覚の科学 - 隠居日録を読んだときにも感じたことがまた蘇るような感じだ。我々が覚えていると思っていることは、本当のことなのだろうか?著者によると記憶の改変というのは、思ったよりも簡単にできてしまうというのだ。

幼時の記憶

前頭葉と海馬の一部など、長期記憶を司る脳の領域が成長し始めるのは、8〜9か月前後であるため、それ以前には30秒以上記憶を保持することができない。また、2歳ぐらいになれば、体験したことを最大一年ぐらい覚えていられるようになるという。
11歳の子どもたちに、保育園の時代のクラスメート(3歳から4歳)の写真を見分けられるか調べる実験では、ほとんどの子が見分けられなかったという。一般的には成人期まで残る記憶は3歳半の頃から形成されると言われているようだが、これには個人差があって、2歳から5歳とも言われている。なので、赤ちゃんの頃を覚えているという人の記憶は、何らかの理由で後から形成された過誤記憶だという。
一つ重要なことは、幼児期の体験は覚えていないことが多いが、幼児期の体験自体は脳・人格・一般的な認知発達に影響する。

PTSDと忘却の関係

フランスのリール第一大学の精神科医オリビエ・コトンシンの実験によると、PTSDの被験者は、PTSDではない被験者に比べて、記憶した単語数が著しく少なく、記憶するように指示された単語も記憶数が少ないという結果が出た。しかし、忘れるように指示された単語を覚えている数は多かった。この結果から、研究チームはPTSDの患者は無意味な情報の忘却能力が低いため、忘れるべきことを記憶しているという問題が起こっていると推測した。つまり、忘れるべきことが忘れらないのだ。しかし、これはもともとそういう傾向のある人がPTSDになったのか、PTSDになったのでこのようになったのかまではわからなかった。

催眠術による幼児退行

1962年のボストン大学の医学者セオドア・バーバーの研究では、幼児期まで対抗するという暗示をかけられた被験者の多くが、子供の様なふるまいをし、記憶を取り戻したと言い張った。しかし、詳しく調べてみると、その「退行した」被験者が見せた反応は、子供の実際の行いや言葉、感情や認識とは一致しなかった。バーバーの主張によれば、被験者たちは、子供時代を追体験しているかのように感じられたのだろうが、実際はその体験は再発見した記憶というよりは、むしろ創造的な再現だったのだ。著者は催眠術など全く無価値だと切って捨てている。

偽の記憶を植え付ける

本書の最も興味深いところがここだ。次のようなステップを踏むことで可能になるという。

  1. 「感情的な記憶の研究」のために成人の被験者を集め、被験者に関する情報的強者(両親、本人をよく知っている人)の連絡先を教えてもらう。
  2. 情報提供者に連絡して、被験者候補の11から14歳ころに起こった、動揺した経験で、被験者候補本人が思い出せるようなものを説明してもらう。この時点で、被験者候補の当時の親友が誰で、どこに住んでいたかという情報も集める。
  3. 被験者候補をふるいにかけ、私が植え付けようとしている、感情的な出来事はどれも実際には経験していないが、それとは別の感情的な出来事を少なくとも一つは経験している人だけを選ぶ。そして、その人たちに研究への参加を依頼する。
  4. 被験者が実験のために出向いてくる。その時点では、感情的な記憶を調べる研究だと考え、過誤記憶の植え付けを前提としていることは被験者は知らない。私は体系的な方法で、情報提供者から教えてもらった本物の感情的な出来事の記憶について、被験者に質問を始める。この結果、私は被験者が経験した感情的な記憶を知るものとしての信頼を得る。
  5. ここから偽の出来事を持ち出し、被験者がしたことを伝える。例えば、動物の襲撃、けが、または多額の現金を失い、両親ともめたことなど。
  6. この想像上の出来事を話すと、最初、被験者は必ず「それは覚えていません」などと言い出すので、私は助け舟を出す。一緒に視覚化しようというのだ。この方法で、被験者には目を閉じ、出来事がどんなものだったかイメージするように求める。この方法で、私は記憶ではなく、想像力にアクセスさせようとしている。この後彼らを帰宅させ、自宅で記憶の視覚化を試し、一週間後に再度実験に加わるように告げる。
  7. 一週間後被験者が戻ってきたら、再び本物の記憶を回想させ、話させる。それから、偽の出来事について尋ねる。この時点で多くの被験者がそれを『思い出し』、詳しい説明を始める。私は被験者を励まし(正の強化)、話し続けるように言う。更に視覚化を繰り返し、被験者はさらに詳し想像をさせ、記憶の細部だと思わせる。その後きたくさせ、もっと細部まで思い出し、一週間後3回目の面接をする。
  8. 一週間後、最後にもう一度このプロセスを繰り返す。本物の記憶の想起の後、過誤記憶を想起させ、視覚化させる。

たったこれだけなのだ。これによって偽の出来事が偽の記憶になってしまうというのだ。うまく誘導して、相手に思い出させるように思わせて、想像させるだけなのだ。これって、まさに冤罪を生む過程で行われていることなのではないだろうか?本書ではフェルスエーカーズ託児所事件の件が触れられているが、まさにその事件でも、不適切な誘導によって偽の証言が作り出されてたのではないかと著者は指摘している。

ファジー痕跡理論

本書の原題はThe Memory Illusionであり、なぜ都合よく記憶するのかという日本語タイトルとは異なっている。しかもほとんどの説明は、なぜ間違った記憶を呼び出すのかであり、記憶するときになぜ間違うのかではない。だから説明されているのはどのように過誤記憶が形成されるかであり、それは以下のように説明されている。

ファジー痕跡理論の仮定によれば、記憶は二つの物、要旨痕跡と逐語痕跡が関係している。要旨痕跡は経験の意味の記憶であり、逐語痕跡は具体的な詳細の記憶である。ほとんどの記憶は要旨痕跡の要素と逐語痕跡の要素が含まれている。二人の人間の会話を思い浮かべれば、理解しやすいかもしれない。会話には内容の要旨と話した内容の正確な単語や文章(逐語)が含まれている。

  1. 並列処理と貯蔵。人は要旨と逐語を同時にそれぞれ独立した断片として脳に貯蔵する。ある場面を見れば、その様子(逐語)とその意味や解釈(要旨)を処理し、その二組の情報を別々に貯蔵する。
  2. 別々に想起。要旨痕跡の想起と逐語痕跡の想起も別々に起きる。これは痕跡の想起の片方だけあるいは両方強くなる可能性があることを示す。誰かの名前(逐語痕跡)は思い出せるのに、どんな人(要旨痕跡)は思い出せないなど。要旨痕跡と逐語痕跡の想起は別々に起き、要旨痕跡は逐語痕跡に比べ時間がたっても安定している場合が多い。
  3. 誤りの起こしやすさ。二種類の記憶痕跡をひとつづつ想起すると、潜在的に記憶のエラーが起きやすくなる。要旨記憶の断片はもともと不正確なものであるため、特定の出来事に熟知していると感じると、逐語的な細かい部分を勝手に作り上げてしまう。例えば、コーヒーを飲みながら友人と話した(要旨)という要旨痕跡から、誤って近所のコーヒーショップでの会話(逐語)にしてしまうかもしれない。あるいは、コーヒーショップで友人と話したと言いう強い逐語記憶があり、座った席や、お互いの服装は覚えているが、自分たちがそこにいた理由という要旨を忘れた場合は、逐語痕跡に頼り、そこにいた悠について過誤記憶を形成してしまう可能性がある。
  4. 鮮明さ。逐語及び要旨プロセスの両方が鮮明な記憶を起こすことだ。逐語痕跡を想起すれば、通常、その出来事と具体的な状況を再体験するらしい。一方、要旨痕跡の想起は、非常にありふれた記憶のように感じられる場があり、経験したことがあるのはわかるが、何があったかはっきり思い出せないという感覚に結び付く。