隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

コーヒーが冷めないうちに

川口俊和氏の コーヒーが冷めないうちに を読んだ。

この小説は短編連作になっていて、4編のストーリー(恋人、夫婦、姉妹、親子)が収録されている。各ストーリーは独立してはいるものの、登場人物が共通しており、あるストーリでのちょっとした出来事が次のストーリに結び付いているというような構成になっている。

或る日清川二美子は賀田多五郎からある喫茶店(フニクリフニクラ)で一方的に別れ話を告げられ、多五郎はその足で空港からアメリカに旅立って行ってしまった。地下にあるその喫茶店はあまり目立たなく、いつもの喫茶店が休みだったのでたまたまその店に入っただけだった。店は狭くて、カウンターに三席、二人がけのテーブル席が三席しかなく、何ともパッとしない喫茶店なのだ。その喫茶店で別れ話をされてから一週間後二美子はあることを思い出し、再びその喫茶店を訪れた。実はその喫茶店には不思議な力があり、過去に戻れるというのだ。しかし、過去に戻れると言っても、色々と制約がある。

  1. 過去に戻っても、この喫茶店を訪れたことのない人には会えない
  2. 過去の戻ってどんなに努力しても、現実は変わらない
  3. 過去に戻れるのはこの喫茶店のある席に座った時だけ
  4. 過去に戻っても、その席からは移動できない
  5. 過去に戻れる時間には制限がある

3番目の制約にはおまけがついている。その過去に戻れる席にはいつもワンピースの女が座っていて、無理に席を変わってもらおうとすると、呪われるのだ。というのも、実はそのワンピースの女は幽霊なのだ。だから、ワンピースの女が一日に一回トイレに行く隙に、その席に座るしかない。そして、5番目の制約は、過去に旅立つ前に淹れられるコーヒーが冷めないうちに、コーヒーを飲みほして、現在に戻ってこなければならない。もしコーヒーを飲み干さなかったら、幽霊になると言われている。「コーヒーが冷めないうちに」のタイトルはこの部分から来ているのだ。

さて、第一話目の「恋人」では日清川二美子と賀田多五郎が分かれるところから始まり、徐々に二人の過去や喫茶店のこと、常連客のことが語られながら、二美子が過去に旅立ち何かを得ることが描かれる。過去に戻っても過去に起こったことは変えられない。でも何かが変わる、ホロリとするストーリーが収められている。

私を離さないで

カズオ・イシグロ氏のわたしを離さないで(原題 Never Let Me Go)を読んだ。

時は1990年代末、舞台はイギリス。物語は介護人キャシー・Hが自分の過去を語る形式で進んでいく。31歳の彼女は優秀な介護人で、この仕事を11年以上も続けている。彼女は回復センターで提供者の介護をしているのだが、具体的にどのような事をしているのかは明らかには書かれていない。ただ、提供者を落ち着かせ、平静になるようにするのが彼女の仕事らしい。彼女はヘルーシャムと呼ばれるところの出身のようで、そこでの生活を思い出しながら、語られていく。時々話が前後することがあるが、おおむね過去から現代に向かってキャシーの経験したこと語られている。

ヘルーシャムは全寮の寄宿舎付の学校のようなところで、多くの子供たちが暮らしていた。そこには数人の保護官と呼ばれる教師役と頻繁に行われる健康診断を実施する看護婦ぐらいしか大人はいないようだ。キャシーはルースというなの同級生の少女と親しくなるが、ルースはなかなか一筋縄ではない。ルースは自己顕示欲が強く、他人より優位に立ちたいと思っているのに、親切にされたり、やさしくされると、その恩に報いようとけなげな行動にも出る。キャシーとルースとお互いに牽制しあったり、強く結びついたりしながら、ヘルーシャムで過ごしていく。その二人にトミーという少年がかかわってくる。トミーは癇癪持ちで、それが原因でからかいの対象になっていた。ルースとトミーはやがて恋人同士となる。だた、最初はキャシーとトミーが仲良くしていたのではあるのだが。

ヘルーシャムでは当時年四回交換会というものが行われていた。交換会というのは一種の展示即売会で、子供たちが3か月の間作った、絵画・焼き物・彫刻・オブジェ・詩などを出品する。保護官がそれらの作品を見て、出来栄えに応じて何枚かの交換切符をくれる。子供たちはその切符で、気に入ったものを買うのだ。その交換会にどれだけいいものを出せるかが人気を決めることにもなるのだ。トミーは絵画の才能が乏しく、その事もトミーを悩ませている一つの原因だった。ヘルーシャムにマダムと呼ばれている女性がたびたび外部から訪れており、マダムは交換会に出されているすぐれた作品を持ち帰ることが恒例になっていた。みんなはどこかに展示館があり、マダムが持ち帰った作品はそこに飾られているのだと信じているのだ。

イシグロ氏が2017年にノーベル文学賞を受賞したときに、本作の内容も紹介されて目にした人もいるだろうが(内容に触れるので)、

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