隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

ドグラ・マグラ

夢野久作ドグラ・マグラを読んだ。この本を読むのも2回目で、1回目は多分1990年代の何時かがだったのだと思うが、正確には記憶していない。きっと、匣の中の失楽を読んで、虚無への供物を読んで、ドグラ・マグラを読んだのではないかと想像しているのだが、確かなことは分からない。そして、当然のことながら細かいストーリーは全然覚えていなかった。ただ、読み終わったときに、「これはいったい何なのか理解できない。最後でまた最初に戻るのか?」ということを感じたことだけは不思議と覚えている。

物語は鉄格子と鉄網の窓のある部屋で男が目を覚ましたところから始まる。だが、男には記憶がなく、なぜそんな部屋にいるのか、自分が誰なのかももわからない。ここは監獄か、精神病院か。隣の部屋からは「お兄様、お兄様」と呼ぶ声が聞こえるが、その声にも聞き覚えがない。狂おしい状況に神経が参ってしまいいつの間にか寝込んでしまったが、朝になって目が覚めると、扉の下の小さな仕切り戸が開いて、食器が差し入れられてきた。「僕は誰ですか?僕はくるっていない」と主張すると、外で「7号室の患者さんが」という若い女の叫び声がして、やがて背丈が六尺を超え、馬のように顔が長く、色白の男がやって来た。差し出す名刺には「九州帝国大学法医学教授 医学部長 若林鏡太郎」と書かれていた。それがまさに悪夢のような一日の始まりだったのだ。

物語では、青年はこの後若林教授に名前は思い出したかと聞かれるのだが、青年には残念ながら全然わからない。若林教授は、ここは九州大学の精神病科の病室でることを告げる。そして、男はある学説が真理であることを身をもって証明された方だともいうのだ。何が起こったのか?九州大学からほど遠からぬところで、ある裕福な家庭の青年が、許嫁の従妹との結婚式の前の晩の夜半過ぎに、夢中遊行を起こし、その少女を絞殺し、屍体を目の前に横たえながら、冷静な態度で写生していたというのだ。話の流れからはその青年とこの青年が同一と思われるのだが、若林教授は決してそのようには明言しない。そして、場所を九大精神学科本館の教授室、今は亡き正木敬之けいし教授の部屋に移動して、実験と称する問答は継続する。その部屋で偶然見つけたのが戸棚の中にあった原稿用紙の綴り。五分冊になっていて、ローマ数字でI、II、III、IV、Vと番号が打ってある。そこには「ドグラ・マグラ」と書かれていた。それは附属病院に収容されている大学生が一気呵成に書き上げたもので、若林教授と正木教授がモデルになっている超常識的な科学物語だと若林教授はいうが、一方でそこに書かれているのは、まさにこの小説の内容だと思わせる説明もしているし、出だしのところはそっくりにも見える。

ドグラ・マグラと言えば私には社会思想社教養文庫の一冊しか思い浮かばなく、中学生の頃からこの本の存在は知っていた。とにかく分厚く、661ページまで本文がつづいている。しかも、表紙の絵が何ともグロテスクなのだ。本にはあらすじも梗概もないのでどんな内容かはわからなく、読んでみたいという気持ちは起きなかった。この表紙の絵を改めて眺めてみると、絵と本の内容と何か関係があるのだろうか?という疑問が湧いてくる。帯の下には全裸で横向きの女が描かれているのだが、こんなシーンは本文にあったかなぁという素朴な疑問が湧いてくる。

小説には133ページから439ページまで正木教授の文章が挟み込まれている。一見関係なさそうな文章でもあるが、ある意味事件を正木教授の視点からとらえているような文章でもある。この青年がその文章に集中している間に、若林教授はいなくなり、死んだといわれていた正木教授が目の前に現れるのだった。このあたりからはもう何が実際に起こったことで、何がこの男の妄想なのか区別がつかなくなってしまう。

この事件自体ははそんなに複雑ではない。若林教授が語ったように、ある青年が結婚式の前日、許嫁を絞殺した。実はその前には、青年の母親が縊死した事件も起こっており、そちらの事件は状況からは自殺か青年が殺したかなのだが、青年には殺した記憶はなかったのだ。しかし、なぜこのようなことが起こったのかが、ストーリーの眼目になっていき、そこにはこの一族の祖先にまつわる絵巻物がかかわっていることがわかってくる。正木教授言うところの心理遺伝だ。一種の暗示作用によって、人間の精神状態を突然、精神の奥底の深いところに潜在している、何代前かの先祖の性格と入れ替わるという症状なのだが、それが起こったことにより、青年は許嫁を絞殺し、写生しようとしたというのだ。では、誰がそんなことをしたのか、それがストーリーの主眼になっていく。そして、その謎は一応説明されているのだが、この青年の目を通して描かれることで、本当なのか幻覚なのかの区別がつかなくなってきて終わってしまうのだ。

結局のところ、ドグラ・マグラとは堂々巡りの物語なのだということがあたらめて分かった。これは最初に読んだときに印象に残った、「最後で最初に戻る」ということであり、小説内の登場人物がドグラ・マグラを書いたという小説構造でもあり、心理遺伝により、時と場所を超えて同じことを繰り返すという呪いでもある。ミステリーとして閉じているかどうかわからないが、こんな小説はそうはないのは確かだ。

この作品も今や青空文庫に収録されている。
www.aozora.gr.jp

四神の旗

馳星周氏の四神の旗を読んだ。

北上ラジオの第15回目で紹介されていた。

「馳星周の新境地の傑作だ!」と『四神の旗』(中央公論新社)を書評家・北上次郎が熱烈推薦!「北上ラジオ」第15回 - YouTube

この小説は藤原不比等の4人の息子、武智麻呂、房前、宇合、麻呂と長屋王の対立を描いた小説で、いわゆる長屋王の変を扱っている。物語は藤原不比等がなくなったところから始まり、武智麻呂が聖武天皇長屋王が対立するように仕向けて行ったという想定の下に進んでいく。この辺りは記録が残っていないので、実際何があったかは不明だろうから、作者の想像であろうが、物語はそう単純ではなく、色々な人物が、自分たちの一族が有利になるように、色々策を弄しているという風にストーリーが組み立てられていて、なかなか面白い。この小説を読むまで知らなかったのだが、皇族ではないものが皇后になった前例はこの時代以前にはなく、光明皇后(安宿媛)が最初なのだという。この後藤原の一族は娘を次々と天皇に嫁がせていて、皇后にもしているので、この時代というのは、藤原一族が後に権力を握るうえでも重要な時代だったのだなと感じた。しかし、長屋王に勝った藤原兄弟だが、結局は天然痘で全員死んでしまうという歴史の皮肉は何とも言えない。

この作品は、「ならぶ者なき」につながる著者の古代史物らしく、ならぶ者なきは藤原不比等を扱っているらしい。こちらも読んでみようと思った。