隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

天皇諡号が語る古代史の真相

関裕二氏監修の天皇諡号が語る古代史の真相を読んだ。本書は新書版なのだが、ページ数が466ページあり、通常の新書の二倍近くはあるので、読む場合はその点を注意する必要があると思う。また、最後まで読んで気づいたのだが、本書は関裕二監修になっていて、では誰が書いたのかということが記されていない。巻末に関氏の著書が11冊引用されているが、それに基づいて誰かが書いたのではないかと想像している。その推理が正しければ、参考文献に挙げられている本を読んでいれば、本書を読む必要はないかもしれない。

さて、本書は天皇諡号から古代史(古事記日本書紀)を読み解こうとするものである。古事記日本書紀という似通った書物がなぜに存在するのかという大疑問があるが、一般的には、古事記天皇家の歴史で神話時代から推古天皇まで、日本書紀国史持統天皇まで記述されている。両方とも天武天皇が指示をして編纂させたということだから、更にややこしい。

諡号というのは死後に送られた名前で、和風と漢風と二種類ある。○○天皇という言い方の○○に相当するのが漢風諡号だ。神武天皇から元正天皇までの全天皇弘文天皇文武天皇を除く)と15代帝に数えられていた神功皇后の漢風諡号淡海三船により一括撰進されたことになっている。

神の名を持つ天皇

神武天皇崇神天皇応神天皇神功皇后がその漢風諡号に神を持つ天皇・皇后である。神武天皇記紀での初代天皇であり、通説では崇神天皇が実在の天皇で、崇神天皇をモデルに神武天皇が作られたのではないかといわれている。つまり、神武天皇=崇神天皇である。しかし、著者は神武天皇崇神天皇応神天皇はその事績より同一人物だどいう。特に神武天皇=応神天皇説を唱える。神武東遷と神功皇后応神天皇の東遷を同一の事象としてとらえるとうまく説明がつくとしているのだ。このあたりはなかなか面白いと思ったが、この後次々と同一人物説が唱えられ、頭が痛くなった。

武の名を持つ天皇

漢風諡号に武を持つ天皇は、神武天皇武烈天皇天武天皇文武天皇聖武天皇桓武天皇である。また、武の字は「戈」と「止」を合わせたもので、「干戈の威力により兵乱を未然に防ぐ」ことが本義とあると記している。著者は後者の部分の「兵乱を水んに防ぐ」に力点に置き、呪力を持って未然に防ぐと解釈している。

武烈天皇雄略天皇の類似性から同一ではないかという説があるようだが、著者もその点を指摘している。さらに、和風諡号が似ていることも指摘している。

漢風諡号 和風諡号
武烈天皇

小泊瀬稚鷦鷯 (ヲハツセノワカサザキ) - 日本書紀

小長谷若雀命 (ヲハツセノワカサザキ) - 古事記

雄略天皇

大泊瀬幼武 (オオハツノセワカタケル) - 日本書紀

大長谷若建 (オオハツノセワカタケル) - 古事記

和風諡号の中に「武」の文字があることから、この二人(あるいは一人)も武の天皇であると説を唱えている。そして、和風諡号に「タケ」を含む他の天皇もまた武の天皇という説を展開しているのだ。

雄略天皇 - オオハツノセワカタケル

清寧天皇 - シラカノタケヒロクニオシワカヤマトネコ

武烈天皇 - ヲハツセノワカサザキ

安閑天皇 - ヒロクニオシタケカナヒ

宣化天皇 - タケヲヒロクニオシタテ

著者は、この後改めて「武」とは何かに言及している。それは、以下の古事記日本書紀の表記が非常に似通っていることにより、

日本書紀 - 武内宿禰 - 日本武尊 - 大泊瀬幼武

古事記 - 建内宿禰 - 日本建尊 - 大泊瀬幼建

「武」とは武内宿禰に由来すると推測する。では武内宿禰とは誰かというと、同じ日に生まれたことにより成務天皇と同一人物だとしている。このあたりになると、ちょっと論理に飛躍だと思える。また、「タラシヒコ」という称号を景行天皇成務天皇仲哀天皇が持つことにより、この三天皇も同一だと説く。
 このあたりになると何がなんだかよく判らなくなってしまう。漢風諡号と和風諡号をごちゃまぜにして「武」の天皇の存在を説くが、淡海三船が撰進したのは、神武天皇武烈天皇天武天皇であり、和風諡号に関しては誰がいつ撰進したのか不明であり、同一のルールに基づいているかどうかも不明である。

 トヨの名を持つ天皇

和風諡号「トヨ」とつく天皇が何人か存在する。

用明天皇 - タチバナノトヨヒ

推古天皇 - トヨミケカシキヤヒメ

皇極天皇 - アメトヨタカライカシヒタラシヒメ

孝徳天皇 - アメヨロズトヨヒ

斉明天皇 - 皇極天皇重祚

文武天皇 - アメノマムネトヨオオジ

元明天皇 - ヤマトネコアメツミシロトヨクニナリヒメ

聖武天皇 - アメシルシクニオシハラキトヨサクラヒコ

「武」に対比させて「豊(トヨ)」を登場させているのだが、「武」は男系の王統であるが、「豊」は女系の王統であり、血のつながりよりも「神との関係性」が重要であると説いている。しかし、「豊」は「豊饒」からくるものであろうから、ここに何か特別な応答を見いだせるのかどうか疑問に思った。

著者は「元興寺伽藍縁起並流記資材帳」の「大大王」と「大王」を「推古天皇」と「聖徳太子」に比定し、本来叔母・甥の関係にある両者を親子だったと論じている。そこから推古天皇穴穂部間人皇女を同一人物と仮定するとつじつまが合うと説く。更に、先代旧事本紀に登場する物部鎌姫大刀自連公も同一人物だとする。その結果、推古天皇の子供である聖徳太子蘇我入鹿と同一人物だと主張するのだ。

 更にである、舒明天皇には三人の皇子(古人大兄皇子、中大兄皇子大海人皇子)がいるが、古人大兄皇子と大海皇子は同一人物だと結論付けている。

感想

読んでいて疲れたというのが正直な感想だ。そして、混乱する。もともと古代のことは史料が少ないので色々な想像をめぐらすことは可能だろうが、この人とこの人は同一人物、この神とこの神も同一などという説がたくさん出てきて、何がなんだかわからなくなってしまった。話としては面白いかもしれないが、一般には受け入れられないであろう。