隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

カムパネルラ

山田正紀氏のカムパネルラを読んだ。本書のタイトルから分かる通り、この小説は宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」と密接に関係している。

我々の世界と似ているけれどもちょっと違った世界での物語。16歳のぼくは母の遺言を履行するために、新幹線で岩手県の花巻に向かっていた。母の遺言とは花巻の豊沢川に散骨してほしいというものだった。母は宮澤賢治の研究者で、「銀河鉄道の夜」には第四次稿があると信じていた。しかし、メディア管理庁が公式に認めているのは第三次稿までで、第三次稿の内容が国家体制の維持に都合がいいとメディア管理庁は考えているようだった。母は「銀河鉄道の夜」の研究がもとでメディア管理庁に拘束され、3か月後に解放された時には既に健康を害しており、それがもとで亡くなってしまった。

ぼくは散骨のために豊沢川にたどり着いたが、こともあろうに、骨壺を新幹線に置き忘れてきてしまっていたのだ。ここから、世界は大きく変容していく。なぜか、ぼくは昭和8年9月21日にいた。そう、その日は宮澤賢治が亡くなった日だ。ぼくはもしかすると宮澤賢治の死を回避できるのではないかと考え、花巻の宮澤家を目指していくが、宮澤賢治は5年前にすでに亡くなっていた。一方、妹のトシは大正11年に死んでいなく、まだ存命で、トシには「さそり」という名の娘までいた。そして、そこではぼくがジョバンニであるといわれてしまう。更には、カムパネルラの死にかかわっている疑いで、警察に拘束されてしまうのだ。ぼくにはいったい何が起きたのだろう?タイムスリップが起き、過去に行ってしまったのだろうか?でも、なぜ賢治は昭和3年に死んでいたのだろう?

 何とも不思議な小説だが、面白かった。少しの小説内事実と昭和8年の出来事と第三次稿と第四次稿の「銀河小説の夜」が絡み合った構造になっていて、途中まで何が起きているのかよく判らなかった。

実際我々の世界で公開されている最終形態の「銀河鉄道の夜」は第四次稿に基づいているが、本書を読んでいて、第三次稿と第四次稿にかなりの違いがあることに気づかされた。ちょうど手元にちくま文庫宮沢賢治全集(7)があり、これにどちらも収録されているので、改めて読み返して、比べてみたくなった。また、「風の又三郎」と「風野又三郎」も本作のストーリ上の鍵になっており、これもちょうどちくま文庫宮沢賢治全集(5)に収録されているので、こちらも読み比べてみたくなった。