隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

江戸時代役職事典

江戸時代役職事典を読んだ。タイトルは「江戸時代役職事典」となっているが、中身は「役職編」、「制度編」、「ひとと役職編」に分かれている。また、巻末に「江戸幕府役職要覧」が付録として採録されているが、この要覧に列挙されているすべての役職が、前半の部分で説明されているわけではないので、ちょっと残念だった。

今の世の中でもそうだが、時代が移り変わって、必要がなくなってしまった役職でもなかなか廃止されずに残っているというようなことは、江戸時代にもあったようだ。例えば「貝太鼓役」というのがある。以下のように記されている。

戦場において指揮を高揚するために、陣太鼓や法螺貝を鼓舞するために儲けられた役職である。太平の世となると、将軍が日光山に出かけたり、狩りの際に陣太鼓や法螺貝を鼓舞したりする儀式用の閑職となった。

「高揚する」というよりは、単に「指揮をするため」であろうと思われるが、戦がなくなると、全く必要のない職となってしまった好例であろう。腰物奉行もそのような例ではなかろうか。

将軍の廃刀、装飾具及び、諸侯に賜る太刀、刀、脇差や献上品の刀剣を掌る。古くは御殿物番頭と言った。

江戸時代はもっぱら後半の下賜・献上品の刀剣を扱う役目だったと想像される。

読んでいて、「おや?」と思ったのは「鳥見組頭」だ。

表向きの仕事は、将軍の鷹場である葛西、岩根、戸田、中野、目黒、品川の六ケ所をそれぞれ見張る役、および鷹に食べさせる雀の捕獲役である。しかし実際には、若年寄の支配のもと地形を調査するいわば諜報活動をすることが本務で、いわゆる隠密の役である。また、合戦の作戦図の作成の任に当たった。

このような隠密的な仕事が本来の役であったとは知らなかった。

将軍の側室を「御部屋様」とか「御腹様」とか呼ばれることがあるが、その違いについて書かれおり、これも知らなかった。

将軍の妾(側室)が、男の子を生むと、大奥に部屋をもらえたから御部屋様と言った。女の子を産むと御腹様と言った。

江戸時代の役職で非常にユニークなのが公人朝夕人(くにんちょうじゃくにん)であるが、この説明は載っていなかった。