隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

合成生物学の衝撃

須田桃子氏の 合成生物学の衝撃を読んだ。本書は毎日新聞社の記者である須田氏が米国留学中に研究・取材した「合成生物学」に関する内容を一冊にまとめたものである。合成生物学とは、人為的に遺伝子のセットを作り人工的な生命を作ったり、あるいは遺伝子を合成することにより地球上に存在しない生物を作ることである。後者に関しては、遺伝子組み換えとか遺伝子編集の技術が相当すると思われるが、驚くのは前者の方である。全くの勉強不足で知らなかったのであるが、既にこの世に存在していなかった微生物の遺伝子を作り上げてしまっているというのだ。

人工生命体

この人工生命体に関しては第九章で詳しく説明されているが、プロジェクトの着想から成功までには実に20年の歳月を要している。この研究を成功させたのはアメリカのクレイグ・ベンダー率いるJ・クレイグ・ベンダー研究所のメンバーだ。彼らはまず、大腸菌を攻撃する既知の「ファイX174」の遺伝子の合成から取り掛かり、約3500塩基対の遺伝子を作り上げた。ウィルス自体には自己増殖能力はないが、大腸菌の能力を使い自己を複製させた。

次のステップとしてベンダーは3つのチームを立ち上げた。「DNA合成チーム」、「ゲノム移植チーム」、「最小遺伝子チーム」だ。ここで注意しなけれならないのは、彼らの研究対象は遺伝子であって、細胞自体ではない。そのため合成された遺伝子は既存の細胞に移植されなければならない。そのためにゲノム移植チームが必要なのだ。

チームはまず既存の最近の遺伝子の合成を試み、2004年に自然界で最小のゲノムを持つマイコプラズマ・ジェニタリウスの遺伝子合成を成し遂げ、2010年に3月マイコプラズマ・マイコイデスの合成遺伝子を近接種の細胞に移植し、増殖させることに成功した。そして次に最小構成の遺伝子セットの生命の合成に取り掛かった。そして、それは2016年に成し遂げられた。53万塩基対、遺伝子の数は473個だった。

バイオブリック

バイオブリックはMITのトム・ナイトが考案したもので、DNAの塩基配列の内、特定のたんぱく質を作ったり、他の遺伝子の働きを調整する指令が組み込まれたこのの断片を部品化して「規格化」したものだ。このの部品はまるでブロックのように他のDNA部品と簡単に連結できるように設計されていた。2001年にはインターネット上で登録できるカタログも作り、手始めに開発した6つを登録した。実は驚くのはこのようなバイオブリックを製造してくれる企業が既に存在していて、そこに発注すれば遺伝子を作成してくれるという。

遺伝ドライブ

多細胞生物は通常オスとメスの親から遺伝子を受け継ぐので、片方の親が持つ遺伝子が受け継がれる可能性は50%だ。だが、生存に有利な特徴を与えるわけではないのに50%を上回る確率で受け継がれる遺伝子もある。そのような遺伝子は「利己的な遺伝子」と呼ばれており、このような現象を「遺伝ドライブ」と呼ばれている。

もしCRISPRのシステムをゲノムに挿入したらどうなるのだろうか?

CRISPRは近年注目を集めている遺伝子編集技術のことだ。ゲノムの中に遺伝子を編集する因子を挿入すれば、人為的に遺伝ドライブを起こさせることが可能となる。対象の生物のゲノムに対してある遺伝子Xを含む塩基配列を挿入する。その塩基配列にはCRISPR自体も入っているのがポイントとなっている。遺伝子編集された個体が野生の個体と交配し子供が生まれると、この染色体のうち一本は改変されていて、もう一本は野生のままである。しかし、改変された染色体に組み込まれたCRISPRにより、野生由来の染色体も改変されてしまい、2本とも改変された状態となる。その個体が野生の個体と交配し、子供ができるとまた同じことが起きるので、何世代か繰り返されるうちに、全ての個体で遺伝子Xが伝わることになる。

本書にはこれ以外にも、旧ソビエトで研究されていた遺伝子組み換えの生物兵器の話題とか、国防総省下のDARPAが合成生物学に対して投資しているとか、(ヒト)ゲノム合成プロジェクトなど色々興味深い話題についても触れられている。