隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

日本史のツボ

本郷和人先生の日本史のツボを読んだ。本書は7つの項目から日本史を俯瞰しようという試みで、7つの項目とは、天皇、宗教、土地、軍事、地域、女性、経済の項目だ。と言っても、これらの項目は互いに結びついているので、完全独立には論じることができないのが、又ややこしいところではある。

縦に繋がるか、横に広がるか

天皇の項目の所で述べられているのだが、天皇系図を見ると縦に親から子へ皇位が繋がっていく時代と、横への広がりがある時代とに分かれる。当然と言えば当然なのだが、横に広がるのは兄弟間等で皇位を争っているからで、皇族の権力闘争の時代であり、縦に繋がるのは天皇の位が闘争の対象にはあまりならなく、平天皇にとっては平和な時代だったということだ。ただし、古代においてはある一定の年齢にならないと大王になれなかったようなので、その時代は兄弟により皇位が継承されることがあり、除かれるだろう。

公地公民・班田収授法・庚午年籍

いわゆる645年の大化の改新で公地公民と定められ、班田収授法で人民に田畑が分配されたとされるが、そのもととなる台帳である戸籍が定まらないと、配ることはできないだろう。そして、日本最初の戸籍の庚午年籍は670年にまとめられたので、645年から670年までの間は、本当に班田収授法で分配されたのだろうかという疑問が湧いてくる。

そして何よりも土地が少なかったらしいのだ。どうやら10世紀ごろになっても全国で100万町歩にも満たなかったようなのだが、723年に百万町歩開墾計画が出され、翌724年には三世一身の法が出され、743年には墾田永年私財法が出されている。多分20年経ってもそれほど増えなかったのだろう。

また、755年から763年まで続いた安史の乱で、唐の勢いが衰えてくると、外圧の脅威が無くなったということで、日本国内の情勢も変化して、弛緩し始めてきたという。そのため、公地公民に反する荘園が増えていったという。

妻問婚・招婿婚

いわゆる通い婚のことだが、本郷先生はこの実態もどうだったのだろうと疑問を呈する。というのも、財産は母方で継承されるという部分はあるのだが、例えば天皇家は勿論、藤原氏なども、血筋の継承は父方でつながっているからだ。

女性の名前

昔の女性の本当の名前は記録されていないのでよく判らないということになっている。清少納言紫式部がその典型だ。だが、一部もっともらしい名前が残っている女性もいる。その中で有名なのは初代鎌倉幕府将軍源頼朝正室北条政子だろうが、この政子も、京に上って上皇天皇に会うのに名前がないとまずいということで、父親の北条時政の一字を取って政子としたということだ。これは全く知らなかった。

驚くのが、藤原氏などでは朝廷に上がる入内の時に初めて正式な名前を付ける。それまでは長女の場合は大姫、次女の場合は乙姫と呼ばれていたという。