本郷和人先生の日本史のツボを読んだ。本書は7つの項目から日本史を俯瞰しようという試みで、7つの項目とは、天皇、宗教、土地、軍事、地域、女性、経済の項目だ。と言っても、これらの項目は互いに結びついているので、完全独立には論じることができないのが、又ややこしいところではある。
縦に繋がるか、横に広がるか
天皇の項目の所で述べられているのだが、天皇の系図を見ると縦に親から子へ皇位が繋がっていく時代と、横への広がりがある時代とに分かれる。当然と言えば当然なのだが、横に広がるのは兄弟間等で皇位を争っているからで、皇族の権力闘争の時代であり、縦に繋がるのは天皇の位が闘争の対象にはあまりならなく、天皇にとっては平和な時代だったということだ。ただし、古代においてはある一定の年齢にならないと大王になれなかったようなので、その時代は兄弟により皇位が継承されることがあり、除かれるだろう。
公地公民・班田収授法・庚午年籍
いわゆる645年の大化の改新で公地公民と定められ、班田収授法で人民に田畑が分配されたとされるが、そのもととなる台帳である戸籍が定まらないと、配ることはできないだろう。そして、日本最初の戸籍の庚午年籍は670年にまとめられたので、645年から670年までの間は、本当に班田収授法で分配されたのだろうかという疑問が湧いてくる。
そして何よりも土地が少なかったらしいのだ。どうやら10世紀ごろになっても全国で100万町歩にも満たなかったようなのだが、723年に百万町歩開墾計画が出され、翌724年には三世一身の法が出され、743年には墾田永年私財法が出されている。多分20年経ってもそれほど増えなかったのだろう。
また、755年から763年まで続いた安史の乱で、唐の勢いが衰えてくると、外圧の脅威が無くなったということで、日本国内の情勢も変化して、弛緩し始めてきたという。そのため、公地公民に反する荘園が増えていったという。