隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

戦国大名の兵粮事情

久保健一郎氏の 戦国大名の兵粮事情を読んだ。戦国合戦の舞台裏 - 隠居日録を読んだのだが、わかったようなわからないようなもやもやした感じになっていたので、別な本を読んでみたのだ。今回の本は兵糧が中心になっているので、知りたいことがズバリと書かれているのではと期待して読んでみたのだが、こちらを先に読むべきだったと思った。

兵糧の調達

本書の筆者は「兵糧自弁」というように単純化して語られるものではないというように説明している。ある所で兵糧が必要になった場合に、その調達は以下のような四通りがあったと考えられている。

  1. 軍勢による必要な分の持参。兵員各自が準備すれば、いわゆる「兵糧自弁」となる。
  2. 領国内から現地への搬送。大名が大量に買い付けたり、家臣・商人から借用するなりして大量に搬送する場合、現物に変えて、銀や銭を送る場合がある。銀や銭を送り場合は、次の買い付けになるであろう。また、大名が買い付けたり、借用したものが一番目になる場合もあるだろう。
  3. 現地での調達 (略奪・徴発、買い付け)。略奪は敵地の場合に限られる。
  4. 現地でのストック。

攻撃のために遠征する場合、期間が短期であるならば、自分で運ぶことはあるだろうが、長期戦になった場合は、やはり現地に運ぶ必要もあったであろう。しかし、場合によっては、現地に物資を運び込むことが困難な場合があるので、その場合は現地での買い付けに頼らざるを得なくなる。また、籠城戦の場合はまずストック分から消費するのが基本であろうから、いきなり現地に物資を運ぶことはないであろう。遠征であっても、籠城であっても、戦闘状況が固定化・長期化した場合には現地に兵糧を運ぶ必要が出てくるというのが、本書での説明であった。

それと、一つ誤解していたことがあるのに気が付いた。「兵糧自弁」といった場合に、私は誰が運ぶのかということに注目していたのであるが、この言葉には誰がその費用を負担するのかということも含まれているということだ。運ぶのが第三者であっても、費用を負担するのが自分であれば、「兵糧自弁」となるようだ。

紛争・訴訟 または徳政令対策

貸し借りや売買には当然のことながら証文が作成されていたのであるが、室町幕府の徳政令により、それが紙切れになることがしばしばあった。この徳政令の対象が利息付きの貸し借りであったことから、借主に強要して、利息なしの貸し借りであるという証文を作成することが起きるようになった。このような取引を「誘取(拵取)」とか「好取」と呼ばれ、室町幕府は禁止した。しかしながら、禁止しているにもかかわらず、このような取引は減ることがなかったのである。

なぜかというと、室町幕府の対応が非常にいい加減だったからだ。15世紀の半ばに室町幕府は分一徳政という政策を始めた。これは借主に対して、債務の十分の一の額(分一銭)を室町幕府に支払えば、徳政令を適用するようにしたのだ。そして、数年後には分一徳政禁制という政策を始めた。これは貸主に対して、債券の十分の一(分一銭)の額を室町幕府に支払えば、徳政令の適応を除外するという政策だ。

そして、16世紀にはいると、室町幕府は証文が「誘取」かどうかの判断をせずに、分一銭支払いの有無により、裁決するようになったのだ。要するに証文が宛にならなくなったことになり、室町幕府を当てにせずに、自力で紛争を解決する一つの機運となったのであろう。