隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

エピゲノムと生命

太田邦史氏のエピゲノムと生命を読んだ。DNAが組み合わさることにより、我々を構成する細胞の遺伝情報を記録しているが、DNAの情報は変わらないのに、細胞の性質が変化し、その変化が記録・継承されるという現象がある。これをエピジェネティクスを呼んでいる。本書はそのエピジェネティクスに関して網羅的に解説しているのであるが、一般的な解説書というよりは、かなり高度な内容になっているので、残念ながらすべてを理解することはできなかった。特に五章と六章はエピジェネティクスの説明の重要なところと思われるのだが、正直なところ全然頭が追い付かなかった。

クロマチン

この「クロマチン」がエピジェネティクスを説明するうえで、最も重要なところだと思う。どうやら細胞内のDNAは幾重にも折りたたまれていて、より高次の構造を作っており、それが最終的には染色体構造をなしている。階層的には

染色体 ー クロマチンヌクレオソーム ー DNA/RNA

の構造になっている。DNAというとあの二重螺旋構造が思い浮かぶのだが、最近あまり耳にしない染色体というのもあり、これらの関係が実はよく判ったようでわかってなかった。DNAがクロマチン構造として細胞核中に収納されていると、クロマチン構造を構成するたんぱく質が邪魔をして、転写因子などのたんぱく質がDNAに容易に接触できなくなる(後述のヘテロクロマチン)。その結果、その部分にある遺伝子発生が抑制されることになる。これがエピジェネティクスの基本的な考え方のようだ。

上述の階層構造の「ヌクレオソーム」とは何か?クロマチン構造をほどいていくと、DNA上にビーズのような粒子が連なった細い繊維が見えてくる。このビーズ一つとDNAが結合したものがヌクレオソームである。クロマチンを構成している代表的なタンパク質をヒストンと言い、ヒトの場合は、H1、H2AH2B、H3、H4の五種類がある。ビーズとビーズの間はリンカーと言い、ヒストンの内H1が結合している。

クロマチンには陽と陰の二種類があり、陰は「ヘテロクロマチン」と言い、遺伝子発現が抑制され、陽は「ユークロマチン」と呼ばれ、活性な遺伝子が多く含まれている。

X染色体の不活性化

性染色体にはX染色体とY染色体があり、女性はX染色体を二本、男性はX染色体とY染色体を一本ずつ持っている。染色体の数が増えると、それだけ遺伝子の発現量も増え、細胞内にその遺伝子が持つたんぱく質が多く作られることになる。しかし、一部のたんぱく質が細胞内に多く存在すると、細胞の機能がうまく働かないことがある。そのため、女性では遺伝子の発現量を半分にするために、二つあるX染色体のうちの一つを不活性化し、もう一方のX染色体だけから遺伝子が発現するような仕組みがる。これをX染色体の不活性化と呼んでいる。不活性化されたX染色体は全長にわたってヘテロクロマチン化しており、極度に収縮して「バー小体」呼ばれる微小な塊を細胞核内に形成する。

X染色体は受精後は不活性化していないが、細胞が分裂して、2~4細胞の時期になると、「ゲノム刷り込み」という機能により、父親由来のX染色体が不活性化される。胎盤などの初期胚に由来する胚体外組織ではこの初期のX染色体不活性化が継続する。また、有袋類ではこの初期の不活性化がずうっと維持される。一方、有胎盤哺乳類はこの初期X染色体不活性化が一旦解除され、細胞分裂が継続する過程で、細胞系列ごとにどちらかのX染色体がランダムに不活性化され、その後はこの不活性化が継続する。このX染色体の不活性化が女性が遺伝的に有利であるとか強いだとか言われている理由だ。

赤緑色盲

赤緑色盲の原因遺伝子である「オプシン遺伝子」は三つあり、X染色体上に二つ、常染色体に一つある。三つあるのはRGBに対応しているからで、X染色体上にあるのは「赤オプシン」と「緑オプシン」だ。3つのオプシンはもともと同一の遺伝子から派生し、特に「赤オプシン」と「緑オプシン」は枝分かれしてから時間が経過していなく、非常に似た構造をしている。似た構造をした遺伝子があると、相互に混ざり合い、同じ構造になるように変化することがある。これを重複遺伝子の共進化という。そのため、赤オプシンと緑オプシンに共進化が起こった場合、X遺伝子を一つしか持たない男性でに赤と緑の区別がつかない症状が強く出る。一方、女性はX遺伝子が二つあるので、どちらかが共進化していなければ、X染色体のいずれかがランダムに不活性化されるので、赤緑色盲にはならない。

ゲノム刷り込み

ロバと馬の雑種では、どちらが母親になるかで、ラバとケッティという外見や性格の異なる二種類の雑種が生まれる。ラバがオスロバとメス馬の雑種では体は大きく、性格はおとなしい。一方ケッティはメスロバとオス馬の雑種で、小ぶりな体格の上あまり賢くない。両方ともロバと馬のDNAを半分ずつ持っていて、DNA配列として全く同じであるが、哺乳類だけ(正確には胎盤を持つ「真獣類」と「有袋類」)が持つ「ゲノム刷り込み」という仕組みにより、この違いが発生する。ゲノム刷り込みが起きると、一部の遺伝子で父親由来・母親由来の遺伝子だけが選択的に利用されるようになる。オスとメスでその選択的な利用のパターンが異なっているので、「オス特有のゲノム刷り込み」と「メス特有のゲノム刷り込み」が起きることになる。

そして、このゲノム刷り込みあるせいで、哺乳類では単為生殖ができないようになっている。

オランダ飢餓の世代を超えた健康影響

第二次世界単線末期にドイツ軍が行った西オランダ地方の食糧封鎖は著しい飢餓をもたらした。1940年の「オクスフォード栄養調査報告」によると、当時の成人女性は一日の活動に必要とされる摂取カロリー2500キロカロリーに対し、ひどい時は一日400キロカロリーしか摂取できなかった。

オランダではこの異常な飢餓がその後の健康にどのような影響をもたらすかについて、いまでも継続調査をしている。その結果、母体で飢餓を経験した胎児が成長し、中高年になった時、統合失調症、肥満、心臓病、糖尿病になりやすいこと、乳がんにもなりやすいことが明らかになった。

1980年代イギリスのデビット・パーカー博士も同様の調査研究を行い、パーカー仮説を提唱した。それは「胎児期の環境要因が、エピゲノム変化を介して、成人における疾患発生率に影響する」というものだ。出生時の体重が低い人が成人し、過剰な栄養を摂取すると心臓病やII型糖尿病の発生リスクが高くなることが明らかになっている。胎児期に栄養が不足していると、飢餓に対応するための遺伝子が活性化し、これが記憶されたままになると、成人になった際に、同じカロリーを摂取しても、通常の人より効率的に使用することが可能となることが推測される。