隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

植物は〈知性〉をもっている 20の感覚で思考する生命システム

ステファノ・マンクーゾ、アレッサンドラ・ヴィオラ、 マイケル・ポーランの植物は〈知性〉をもっている 20の感覚で思考する生命システム(原題 Sensibilità e intelligenza del mondo vegetale)を読んだ。

本書は植物には知性があるということを色々な例示を示しながら論じている本であるが、本書を読みながら、「では、知性とは一体何か?」とい事が常に疑問として頭にわいてきていた。それはAIの議論における知性や知能とも共通する問いだ。近年これだけ注目され、色々な商品やサービスが生み出されているAIであるが、「知能」とか「知性」に明確な定義を与えてはいない。あくまで、我々人間がが「知能」や「知性」感じるかどうかが評価基準なのだ。たしかに、画像データを読み取り、文字を認識したり、何か物体を識別したり、音声を文字に変換するさまを見れば、単純な計算式に基づいての動作以上の物を感じ、「知能」を見出したり、「知性」を感じるだろう。植物における知性も、AIの「知能」や「知性」と似て非なるものだという印象を強く抱いた。

植物には脳はないので、「知能」や「知性」と言われると、奇異な感じがするが、植物には様々な受容体があり、それらを通して外部の環境を感じているのだ。そのことは本書の第二章で触れられている。植物には20の感覚があるという。我々が真っ先に思い浮かぶのは、植物が光を求めて、光の方向に成長する「屈光性」であろう。筆者はこのような能力を動物になぞらえて「視覚」と表現している。更に、嗅覚(揮発性物質を捉える受容体)、味覚(栄養素としてつかわれる化学物質を取り込む受容体)、触覚・聴覚(物理刺激受容体)を挙げている。これ以外にも、温度、湿り具合、重力、磁場を感じたり、化学物質を感知し、測定する能力を持っている。

揮発性物質を捉える受容体、正確にはBVOC(生物由来揮発性有機物 Biogenic Volatile Organic Compounds)に関連する植物の行動としては、例えば昆虫に食べられている植物はBVOCを放出し、攻撃を受けていることを近くの植物に伝えることが紹介されている。警告を受けた植物は、ありとあらゆる防衛行動を開始する。例えば、虫の攻撃に対抗し、葉を消化できなくなる化合物を出したり、その葉を有毒にする化合物を出したりする。また、植物の根は絶えず土を味見し、硝酸塩、リン酸塩、カリウムといった「食欲をそそられる」栄養素を探し出している。そうしたミネラルが限られた場所にしかない場合も、根は的確にその場所を見つけ出し、それらにミネラルが多く集まっているところに根を伸ばすのだ。興味深い例は、聴覚だ。フィレンツェ大学国際植物ニューロバイオロジー研究所は音楽を聞かせながら、ブドウの木を育てる実験を行った。その結果、音楽が流される中で育ったブドウは、全く音楽を流さずに育てたブドウよりも生育状態が良かった。もちろん、植物の成長に影響を及ぼしているのは音楽のジャンルではなく、音楽を構成する音の周波数だ。低周波(100から500ヘルツ)が種子の発芽、植物の生長、根の伸張にいい影響を与えている。

植物はこうして得られた情報をもとに植物内でのコミュニケーション、植物外とのコミュニケーションを行っているのだ。植物には神経がないが、電気信号を用いてコミュニケーションをしている。電気信号は、短い距離の場合、細胞壁にあいた微小な穴を通って、一つの細胞から別の細胞に伝えられる。このような現象を「原形質連絡」と呼ぶ。また、長い距離の場合は、「維管束系(植物の茎の中を縦に走る柱状の組織の集まり」が使用される。そして、この維管束は、化学物質(植物ホルモン)の運搬、水の運搬にも用いられ、これら三つが植物内のコミュニケーションを担っている。

植物と植物外のコミュニケーションでは、トウモロコシの例が示されていた。アメリカのトウモロコシ畑では長年羽虫の一種であるウエスタン・コーン・ルートワームに悩まされていた。この羽虫の幼虫はトウモロコシの根につき、まだ抵抗力のない若い苗を枯らしてしまう。しかしヨーロッパでのもっとも古い品種や野生のトウモロコシは羽虫の攻撃から完璧に身を守ることができていた。古いトウモロコシの品種は羽虫の攻撃を受けるとカリオフィレンという物質を作る。この物質は線虫の一種を引き寄せる効果があり、この線虫は羽虫の幼虫が好物なのだ。どうやら我々がトウモロコシを品種改良していくうちに、この能力を失わせてしまったようなのだ。そして、この能力をトウモロコシに蘇らせるために遺伝子工学の力を借り、オレガノから取り出された遺伝子をトウモロコシに導入した。

2007年、単純だが、重要な実験が行われた。二つの容器を準備し、一つの容器では一つの個体の種子30個を栽培する。もう一つの容器では、互いに異なり個体の種子30個を栽培する。後者の容器では、テリトリーを独占しようと無数の根を伸ばし、ほかの植物に害を与え、栄養分と水を確実に自分だけのものにしようとした。ところが、前者の容器では狭い場所に共生しているのだ。これは植物が遺伝子の近さを認識し、競争を避ける行動をとったように見える。

本書では、後半の方でようやく知性とは何かを定義している。本来は、この定義を冒頭ですべきであると強く感じる。本書の著者らは植物の驚くべき能力や行動・生態を強調したいがために、この定義を後回ししたのではないかと勘繰りたくなってしまう。著者らは「知性は問題を解決する能力である」と定義する。たしかにAIにおける「知能」や「知性」よりも明確で、この定義にしたがえば、植物は十分知性を持っていると言えるだろう。