隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

夜汐

東山彰良氏の夜汐を読んだ。

朝日新聞の書評サイトで以下の記事を見かけた。

幕末を西部劇のテイストで 東山彰良さん、初の歴史時代小説「夜汐」 |好書好日

西部劇的な時代小説に興味を持って読み始めた。物語はいきなり賭博場の場面から始まる。時は幕末。イギリスの公使館が長州藩士により焼き討ちにされたころだというから文久二(1862)年であろう。侠客蕎麦屋の曲三の子分の亀吉が勝手に開いていた賭場が襲撃にあい、金を強奪された。臆病者の亀吉がそんな大それたことをするのはおかしいと、探りを入れると、知恵を付けたものがいるようだった。知恵を付けたものは亀吉の幼馴染の蓮八であり、その後ろにいるのは甲州の侠客祐天仙之助だった。亀吉は吉原にいる姉八穂を身請けするためにこの話に乗ったのだ。そんないきさつを何とはなしにつかんだ蕎麦屋の曲三は亀吉と蓮八を殺すために殺し屋を雇った。それが通称夜汐だった。

亀吉と八穂は小仏峠にある一膳めし屋を買い取り、そこに隠れた。一方蓮八と祐天仙之助は将軍を護衛して京都まで行く浪士隊に潜り込んで京に潜んだ。が、浪士隊は早々に瓦解し、祐天仙之助は清川八郎について江戸に戻り、蓮八は芹沢鴨について京都壬生に残った。その蓮八のもとに仙之助を経由して八穂から文が届いた。「帰ってきてほしい」と。蓮八は壬生浪士隊を抜け、八穂のもとを目指すことになり、壬生浪士隊から追っ手がかかることに。そして、殺し屋の夜汐も付け狙われることになるのだった。

「西部劇的な時代小説」に興味を持って読み始めたのだが、どうなのだろう?西部劇的なものは感じられなかった。この辺りは感覚の違いだから致し方ないのだが、夜汐のまとっている不思議な気のようなものの説明にちょっと疑問が湧いた。46ページ辺り「悪魔」とたくさん書かれているのだが、幕末のその時代に悪魔という概念が流布しているとは思われないので、そのような言葉を作中の人物が思い浮かんでいるところにかなり違和感がある。この辺りは好みのようなものだから、きっとこの作者とはあまり相性が良くないということなのだろう。

それと、右腕を切り落とされて無くしているのに、漣八は飯をかけこんでいるシーンが描かれているのだが、そこも何か奇妙に思えた部分だった。片腕でしかも利き腕ではないと思われる腕だけで、どうやって飯をかけこむのだろう?食べるだけでも大変だ。