高田大介氏のまほりを読んだ。まほりが何を意味するかに触れてしまうと、ネタバレになってしまうので書けない。途中で末保利のことだというのがわかるのだが、実はこれは万葉仮名で書いているだけで、それが何であるかを表していない。
この物語は二人の視点で語られていく。そのうちの一人は中学生の長谷川淳。妹の転地療養のために曾祖母のいる群馬県の田舎に引っ越してきた。都会者と馬鹿にされたくないので、山の中にある渓流で立派な魚形の山女魚を一人で獲って、自慢してやろうと、夏休みに山に分け入っていた。渓流に山女魚を探している時に、瀬の上の方から降りてくる同じ年頃の和装姿の少女を見かけた。淳は岩陰から少女を見ていたのだが、彼女は着物の裾を端折って捲り上げた。あっと驚き、岩陰から姿を現した淳であるが、少女はそれには頓着せず、しゃがんで用を足し始めたのだった。そして、上の藪から男の声が聞こえると、少女は身を翻して上に登っていた。男は少女に平手打ちをし、どこへともなく連れて行ってしまった。それ以来、淳はその少女のことが気になって仕方がなかった。
もう一人の視点は勝山裕。自分の母親の出生が不明で、戸籍上は父親の婚外子ということになっていることをパスポートをとるときに戸籍を見て知った。母親はとうに亡くなっており、父親は頑としてどういうことなのか説明しない。ことによると母親には戸籍がなかったのではないかと疑っているのだが、唯一そのことを知っている父親が話してくれないので、母親に関しては調べる手立てがなかった。母親の旧姓は琴平とか毛利とかいうと聞いた記憶があるが、それも正しいかどうかわからない。そんなときひょんなことから、自分の生まれ故郷のそばに琴平神社というのがあることを知り、その神社の縁起について興味を持って調べ始めたのだった。
この琴平神社にまつわる縁起を調べるのが本ミステリーの謎となっているのだが、長谷川淳が見た少女が何者なのかという謎も絡んでくる構成になっている。この中で提示されている史料等は作者の創作だろうから、本書の肝はいかにそれらしい証拠を史料という形で出して、登場人物がその真実に迫れるかと、この本のタイトルになっている「まほり」とは何かというところにかかっているだろう。私は興味深く読み進めたのだが、ストレートなミステリーではないので、万人向けはしないのではないだろうか。
最初読んだときは最初の長谷川淳ストーリーと勝山裕のストーリーは時間軸が違うのではないかと思ったのだが、二人が物語上出くわす場面が割と早い段階であったので、間違いだと気づいた。結局裕の母親も件の少女もどこから来たのかということは明らかにされていないが、そのことを考えると別の犯罪があってもおかしくない余韻を残している。
一つ気になったのは、ストーリー上で扱われている史料等はいわゆる崩し文字で書かれていると思われるのだが、あれはそう簡単には読めないと思うのだが、勝山裕は割とすんなり読めている。そこはどうなのだろう。