隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

ライ麦畑でつかまえて

J.D.サリンジャーライ麦畑でつかまえて(原題 Catcher in the Rye)を読んだ。

色々なところで言及されたり、引用されたり、参照されたりするサリンジャーライ麦畑でつかまえてだが、今まで読んだことがなかったので、どんなものなのだろうと思い読んでみた。

このタイトルはいったい何なのだろう?私は英語の原題は日本語のタイトルの類推からか「Catch Me in the Rye」だと誤って記憶していた。ストーリーのどこかでライ麦畑に行き、そこで追いつ追われつの展開があるのだろうと勝手に想像していた。だが、原題はCatcher in the Ryeだ。意味的には「ライ麦畑の捕獲者」だ。誰かに対して、「捕まえられるのならば、捕まえてみろ」と煽っているわけでもなく、「捕まえてくれ」と懇願しているわけでもない。しかも本作の主人公のホールデンも間違って覚えていて、実際はロバート・バーンズの「ライ麦畑で会うならば(Comin' Thro' the Rye)」が正しい詩のタイトルだ。ホールデンは妹のフィービーに「何になりたいの?」と聞かれ、広いライ麦畑で遊んでいる何千人という子供たちが、崖から落ちないように受け止める仕事をしたい」というのだ。本人も馬鹿げているのは承知していると言いつつ、それがなりたいものなのだという。物語の途中で、子供たちが歩道の縁石を歩きながら「ライ麦畑でつかまえて」という歌うのを聞いて、沈み込んでいた気持ちが少し明るくなったからこんなことを考えたのかもしれない。

この主人公は16歳で、この時成績不振で高校を放校になった直後なのだ。彼は社交辞令や「本音と建て前」を許容できない、未だ大人になれない少年で、だから子供に近い思考や行動をしている。世の中のものはインチキ臭く、反吐が出ると思っているし、実際何度も反吐を吐く。本書は、クリスマス直前に放校になることが確定し、高校のあるペンシルバニアから実家のあるニューヨークに戻る間に会った色々な人のことや出来事をホールデンが一年後に回想しながら語っているという形式で進んでいく。何もないわけでもないが、何があるというわけでもない。現状に嫌気がさして、またどこかの高校に行くのも嫌なので、誰も知らない街に行こうとするのだが、妹のフィービーが一緒についていくと言って、翻意しないので、結局自分も行くのをやめてしまうのだ。

あらすじだけを知りたいのならwikipedia日本語版 ライ麦畑でつかまえてを見れば、かなり詳しく書かれている。

残念ながら私は年を取りすぎていて、とてもじゃないがホールデンには共感を覚えないし、この物語から何を掬い取ればいいのかわからなかった。