隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

匣の中の失楽

竹本健治氏の匣の中の失楽を読んだ。この本を読むのは2回目で、最初に読んだ時からは多分25年以上は経過していると思う。なので、細部に関してはあまり覚えていなかったし、この本の仕掛けについても、間違って記憶していた。

主要な登場人物は12人で、彼らは自分たちのことをファミリーと呼んでいる。倉野貴訓と羽仁和久は神戸出身で幼馴染、甲斐良惟と曳間了は中学の頃からの知り合いで金沢出身。倉野と曳間と根戸真理夫がF**大のチェス研究会で知合い、羽仁と布瀬呈二がK**大の探偵小説研究会で知合った。そして、根戸が東北地方に旅行に行ったときに真沼寛と知合った。甲斐と久藤杏子はN**美大で知合い、杏子の姪の久藤雛子もファミリーに加わる。布瀬は同好会同士の交流で影山敏郎と出会う。羽仁と片城成(通称ナイルズ)が何らかのきっかけで知合い、成双子の弟の蘭(通称ホランド)もファミリーに加わった。ナイルズ、ホランド、雛子はまだ高校生だ。彼らは無類のミステリーマニアでもある。この中のナイルズが「いかにして密室はつくられたか」というミステリーを書くのだと宣言したことによって物語は動き出す。しかも登場人物は彼らファミリーのメンバーなのだ。物語が動き出すと同時に、次々と事件が発生していく。

この小説は序章、一章から五章、そして終章から構成されているのだが、このナイルズが書くと宣言した小説「いかにして密室はつくられたか」が曲者なのだ。そして、奇数の章と偶数の章が入れ子になっていて、別々の物語が進行していくのだ。しかも、どちらでも小説内小説「いかにして密室はつくられたか」が登場人物たちに読まれていて、実際に起きることが先取りして書かれていたりもする。この作り込みのせいで、読んでいると不思議な酩酊感のようなものが起き、どちらが物語でどちらが小説内小説なのか見分けがつかなくなってしまうのだ。

私は奇数の章が小説内小説「いかにして密室はつくられたか」で、偶数の章は小説だと記憶していたのだが、今回読み直して、それは記憶の間違いで、実は両方とも小説内小説であることが分かった。それと、どちらの事件も解決されずにぶん投げられた状態で終わったと思っていたのだが、奇数の章は一応の結論めいたことは書かれているのに気づいた。これも記憶違いだ。

今回読み直して気づいたのだが、奇数の章である第一章で作者は登場人物の一人に

だいたいのおいて結末で合理的に全ての謎が解決されて終わるような小説は面白くないよね

と言わせているのだ。奇数の章でこれが書かれて、その結果偶数の章では合理的な解決が示されないということになったのだろうか?それともこれは読み過ぎか。いずれにしてもこの小説は難解だ。