隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

へぼ侍

坂上泉氏のへぼ侍を読んだ。

へぼ侍とは志方錬一郎の事である。志方家は三河以来の徳川家臣で、大阪東町奉行所の与力として数代前から大阪に土着していた。奉行所の御役目の傍ら、剣術の町道場を営み、武士や町人に指南している家柄であったが、幕末の時、錬一郎の父である英之進は鳥羽伏見の戦に身を散らした。当主不在で御維新を迎えた志方家は、役目も秩禄も失い、剣術道場からは門弟が一人減り二人減りといなくなり、一年後には誰もいなくなった。そして、とうとう母の佐和は心労で病気がちになる始末であった。そんなときに救いの手を差し出したのが、膏薬商の久左衛門で、錬一郎を丁稚として雇ってくれたのだ。丁稚奉公に来た当初、錬一郎は武家の子だということを誇示せんと、店の裏で棒切れを振り回していた。へぼ侍とはその錬一郎を囃して言った言葉だ。名付けたのは久左衛門の末娘だった。

明治になってから10年たち、西南の役が起こった。明治政府は徴兵だけでは不十分と考え、かっての士族を壮兵として徴募することにした。錬一郎はそれに応募し、幕末の賊軍の汚名を雪ごうと考え、奉公先に暇乞いをし、大坂鎮台に馳せ参じたのだった。

大坂鎮台に参じたときは錬一郎はまだ17歳で、年齢の基準は満たしていたものの、軍役の経験がないので、門前払いになるのが関の山だった。なので、一計を案じてなんとかもぐりこみ、剣客として別手隊に入ろうと思っていたのだが、応募してきたもの人数が20人ほどと少なく、銃兵部隊に組み込まれた。しかもなぜか堀という小隊長の中尉に分隊長に選ばれてしまったのだ。

この小説は典型的な通過儀礼の物語であろう。幕末の混乱で武士としての身分が得られなかった少年が、武功を立てて官に取り立ててもらおうとして軍隊に入ったが、軍隊ではもはや刀の時代ではなく銃の時代になっており、更には、軍は薩摩閥・長州閥に支配され、かっての徳川はやはり賊軍のイメージがついてまわいた。結局は軍隊も自分のいるべき場所でないことを悟ることになる。そして、錬一郎はこの戦争の間に、記者として従軍していた犬養仙次郎(後の犬養毅)と知己を得、どう生きるべきなのかをつかんでいく物語だ。分隊の隊員には一癖も二癖もある野武士のような松岡、料理人のような公家に使えていた青侍の沢良木、剣より算盤勘定が得意で、銀行に勤めていた三木面々になっているのだが、20人に3人の分隊長がいるのに、錬一郎の隊の人数がちょっと少ないのは物語の構成上の都合なのだろうか?ちょっと気になった。

この小説には犬養毅以外にも実在の人物(嘉納治五郎乃木希典、手塚良仙など)が登場して、ニヤリとさせる。