隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

日々翻訳ざんげ エンタメ翻訳この四十年

田口俊樹氏の日々翻訳ざんげ エンタメ翻訳この四十年を読んだ。

この本は北上ラジオの第32回で紹介されていた。
www.youtube.com

田口氏の名前は昔聞いたラジオに出演していたので記憶にあった。どこかにその時の録音が残っているだろうと外付けハードディスクの中を探すと、「たとえ死すともミステリー2」であることが分かった。

www2.nhk.or.jp

放送されたのは1998年の1月で、感覚的にはもっと前のような気がしていた。これは前年に「たとえ死すともミステリー」の放送があり、そのパート2であり、前年の放送も聞いた記憶があったのだが、残っていた録音はなぜか「2」の田口氏の回と相原真理子氏の回だけだった。

この番組を再び聞いたのだが、その中で翻訳家になったいきさつが語られていた。それはこの本でも語られているところ重複する部分もあるのだが、児童劇団を辞めた後、ある映画監督に声をかけてもらい、映画に興味があったので、手伝っていた時期があったようだ。しかし、いつまでたっても映画を撮り始める気配がないし、その監督はその当時政治活動に力を入れていて、講演活動をして生活をしていたようだ。失業保険も底をつき、生活が心配になり始めたころ、大坂の中之島公会堂で講演があったときに、「田口君、今日はちょっと荒れるかもしれない。僕は万が一のために、これを持ってきたんだ」といって、コートの中から取り出したのが、なぜか十手だった。最初は冗談だと思ったのだが、どうやら真剣のようで、「これは歩く道が違うなぁ」と思い、デモシカ教師になったというのだ。

この本の内容だが、タイトルにもあるように、過去に自分が翻訳した小説を振り返り、思い出話を語ったり、誤訳について語ったりしている。以下読んでいてちょっと気になったところ。

ローレンス・ブッロク 泥棒は選べない

He was walking east on Sixty-seventh Street.

という文章について語っており、Avenueは「番街」、Streetは「丁目」と訳すと書いてある。どうやらこれは翻訳業界の慣例のようだが、田口氏もavenueもstreetも道路ある。番街はまだしも丁目と訳すのは無理があるのではないかと書いてあり、本当にそう思う。東京などは丁目が順番に並んでいるわけではないので、特にそう思う。これは不思議な習慣だ。

ウェイド・ミラー 罪ある傍観者

この中でdowntownは「市当局、警察の含み」というがあるのだという。これは知らなかった。ジーニアスには載っているらしい。

ローレンス・ブロック 聖なる酒場の挽歌

このことは父を撃った12の銃弾 - 隠居日録を読んでいる時に気づいたのだが、この本の中では、銃の口径のことを、「0.45口径」とか「0.37口径」のように書かれていて、このような表記はあまり見かけなかったので、おやっと思った。思っただけで調べなかった。今まで散々口径については見聞きしていて、なんとなくわかったつもりでいたが、よくわかっていなかった。口径なのだから銃弾の直径のことで、単位はミリとかインチだろう。45口径で単位がミリだとすると4センチ50ミリで、とてつもなく多い。まして、インチなら114.3センチになりどうやって運ぶのだという事になり、考えばこれは0.45インチのことで、1.143センチとなり、妥当な数値となる。だから本書で田口氏は「三十七」というように十を書くのはおかしいと指摘している。

ジェームズ・M・ケイン 郵便配達は二度ベルを鳴らす

この項に以下のような文が載っている。

We cut for the beach. They gave her a yellow suit and a red cap, and when she came out ...

まず、cut forというのがあまり聞いたことのない言葉だが、「~に向かう」という事らしい。で、問題は次の文にあるgaveだ。ビーチにいた誰かが彼女に水着と帽子を渡したのだろうが、具体的にはどうしたのだろう。売ったのか?貸したのか?郵便配達は二度ベルを鳴らすは何度も翻訳されていて、それを参照すると「売った(買った)」が1例、「借りた」が3例、曖昧にしているのが3例となっている。田口氏曰く、二人の経済状況を考えると買うという事はないだろうと思ったが、100%自信がなかったので曖昧にしてごまかしたというのだ。これは今では1930年代の「水着貸します」とう看板の写真が発見されて、giveは貸すという事になっているようだ。