隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

宇宙の春

ケン リュウの宇宙の春を読んだ。本書は短編集だが、アメリカで出版された本を翻訳したというわけではなく、日本で収録作品を選定して出版したオリジナルの短編集のようだ。収録作品は「宇宙の春」、「マクスウェルの悪魔」、「ブックサイヴァ」、「思いと祈り」、「切り取り」、「充実した時間」、「灰色の兎、深紅の牝馬、漆黒の豹」、「メッセージ」、「古生代で老後を過ごしましょう」、「歴史を終わらせた男――ドキュメンタリー」の10編。

マクスウェルの悪魔」は沖縄出身の日系二世の女性が、第二次世界大戦中のアメリカの日本人収容所からスパイとして日本に送り込まれ、沖縄で極秘に開発されていた画期的なエネルギー装置の開発に触れる話で、それがマクスウェルの悪魔で、霊を悪魔の代わりにしているというところが一つの肝。確かに霊的なものならどこからもエネルギーを得る必要がないからマクスウェルの悪魔になりうるか。しかし、この話は非常に暗い結末が待っている。

「充実した時間」は画期的な家庭用のネズミ型のロボットの話で、排水管の清掃や害獣・害虫の駆除をしてくれるのだが、この存在が生態系の破壊につながり、思わぬ揺り戻しがあるというオチ。ロボットがある種の外来生物のようになってしまっているのが面白い。P97に「パール」書かれているけれど、これはperlとしないと意味が通じないでは?それとも全く違う何かなのだろうか?

「歴史を終わらせた男――ドキュメンタリー」はボム‐キリノ粒子のおかげで、過去を観測できるようになり、ある種のタイムトラベルが可能になった世界での話なのだが、過去の観測が一人の人間にしか行えず、また一度観測すると粒子が消滅してしまうので、一種の破壊的観測になってしまうという副作用がある。観測の対象に選ばれたのが、日中戦争時の中国東北部にあった731部隊の施設で、観測者に選ばれたのが、その731部隊に虐殺された人たちとつながりのある人間だった。こうして過去が、客観的な記録から主観的記憶になってしまい、誰も二度と検証できなくなってしまうのだ。扱っているのが731部隊であることから、暗い内容にならざるを得ないかもしれないが、それ以上に「客観的な記録」と「主観的な記憶」の対立する世界が更に見えている景色を絶望的に暗くしている。