隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

泳ぐ者

青山文平氏の泳ぐ者を読んだ。

本書は半席に登場した片岡直人を主人公とするミステリーで、前巻同様に事件の裏に潜む「なぜ」をあぶりだすのが物語の肝になっている。前巻は短編集だったが、本作は長編で、中に2つの「なぜ」が含まれている。

一つ目は、六十歳の武家が重い病にかかり、隠居した。そのような状況にもかかわらず、なぜか妻を離縁した。理由は同じ墓に入りたくないからとだと息子には明かしたらしい。それから三年半後、離縁された妻が武家を懐剣で刺し殺した。殺した者も、殺されたものも明らかだが、なぜ殺したのかは離縁された妻が秘して語らないのでわからない。

もう一つは、直人がたまたま行き会った男の事件。大川橋の傍の駒形堂から対岸の多田薬師の辺りまで大川を泳いで往復する男がいた。それももう冬になろうという十月の頃だから不思議だし、男の泳ぎも達者には見えないので、猶更不思議な事だった。直人は男を蕎麦屋に誘い仔細を聞くと、内藤新宿での商売が思わしくなく、願掛けのために行っているという。それもあと二日で終わるというので、直人は気にはなるがそのまま別れた。だが、翌日になると、やはりあの男のことが気になり、昼時に見物に行くと、男は泳ぎ終わって、岸に上がったところを武家に斬られた。しかし、その直前笑っていたように直人には見えたのだ。なにがあったのか。

この回の物語は二つとも情念の物語で、やるせない物語だ。最初の物語は、直人が小伝馬町で収監されている離縁された妻と相対し、直人なりに行きついたなぜ武家が妻を離縁したかの理由を語った日に、元妻が縊死し、結局なぜ元妻が元夫を殺したのかの本当の理由が分かったかどうかわからないまま幕を閉じてしまう。そして、直人は二つ目の物語に潜むなぜの闇を突き詰めた後に、再び最初の事件の闇に吸い寄せられてしまうという、重たい話になっている。