隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

文学少女対数学少女

陸秋槎氏の文学少女対数学少女を読んだ。本書は雪が白いとき、かつそのときに限りの訳者あとがきに書かれていた、作者と同姓同名の女子高生が主人公のミステリーだ。私は中国人の名前に関しては全く詳しくないので、秋槎というのが女性向きの名前なのか、男性向きの名前なのか、あるいはどちらにも使えるのか全然わからないのだが、作者自身は男性なのでちょっとややこしい。

本書は短編集で4編収められており、タイトルはそれぞれ「連続体仮説」、「フェルマー最後の事件」、「不動点定理」、「グランディ級数」となっている。タイトルにある文学少女は陸秋槎で、数学少女は韓采蘆だ。陸秋槎はミステリマニアで、自分でも小説を書いているという設定なっている。一方韓采蘆は数学の天才で、陸秋槎の同級生なのだが、ほとんど授業には出席していない、謎の少女として「連続体仮説」に登場してくる。これらの物語の特徴は数学の天才の韓采蘆が数学的思考でミステリーにアプローチしてくというところだろう。すべての短編で作中作のミステリーが登場し、それを彼女らが議論していくのだが、タイトルにある数学的な視点と物語がうまく合致しているし、ある意味、著者のミステリ論を作品として書き表したかのような実験的なミステリーになっていると感じた。

連続体仮説」はミステリーにおける解釈の唯一性に関しての話で、それを数学の無矛盾性と完全性になぞらえて話が進んでいくのだが、最後の最後で韓采蘆が放った言葉はニヤリとするようなオチになっている。「フェルマー最後の事件」もなかなかスリリングで、フェルマーの最終定理のように、証明がないある事柄があたかも真実あると宣言されるように、作中作で犯人が指摘されているが推理の道筋は示されずに終わっている。なぜそう指摘されたかを陸秋槎と韓采蘆があれこれ議論するのだが、これもフェルマーの最終定理をうまいこと取り込んだストーリーになっている。「不動点定理」もかなりトリッキーなミステリーになっていて、ある種正攻法で推理することを放棄しているような展開を見せる。その考え方が数学の不動点定理とそっくりだというストーリーになっているのだ。「グランディ級数」はその存在自体知らなかった。

いずれにしても収められている4編は通常のミステリーの枠組みでとらえようとすると異端かもしれないが、数学的概念とミステリーをうまく融合した筋立ては非常に面白く感じた。