隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

百姓から見た戦国大名

黒田基樹氏の百姓から見た戦国大名を読んだ。

災害や凶作が起きればなんとなく飢饉になると思っていたが、実はそうではなく、そのような事が起きた時に、人々が食料を獲得する能力が欠如しているとき、更に言えば、食料を獲得できない人々に食料が行き渡る社会的な関係や仕組みが機能しないときに飢饉は起きるのだという。そして、日本ではそのような仕組みを一般の民衆に提供していたのが中世から戦国時代(13世紀後半から)にかけて形成された村なのだ。本書では村に住む百姓についてと、領国内にある村と戦国大名の関係に関して解説している。

村とは

現在「村」といえば「地理的区分」か「行政的区分」としての村というぐらいの意味しか持たないが、中世・戦国時代の村は「政治的な団体」としての意味を持っていた。現在の言葉で言うと「村社会」とか「村八分」と言った場合の村がこれにあたるのだろう。中世時代では有力な百姓であったとしても、単独の家で存続していくのは不可能で、家同士が連合したり、有力な家の保護の受けることによって存続してきた。これらが村に発展していった。政治団体の村は一定領域を占有し、構成員を認定し(村の領域で生活している人すべてが、構成員ではなかった)、その構成員に対して独自の徴税権、立法権、警察権などを行使した。そして、個々の構成員の私権を制約する公権力として存在した。また武力を持ち、その武力は村の存続のために外部の集団に対して発動された。村の意志や行動は特定の家や人物が決定するのではなく、構成員が全員参加した寄合で決定された。

相論・合戦・合力

村が成立して以降、諸用益をめぐる村同士の争い(相論)が発生するようになり、時として武力を伴った争いになることもあった。武力を伴った争いは「合戦」と呼ばれており、合戦では死者が出ることも少なくなく、それは彼らが刀、脇差、弓、鑓などの武器を所持していたからである。戦争ともなれば、戦力がものを言うのは当然で、他の村に援軍を求めることもあり、そのような援軍による加勢を「合力」と言った。合力は通常合戦前に取り決めが行われており、一方が合戦を起こした場合は、他方が必ず合戦に参加するという関係になっている。いざというときのために村は複数の村と合力の関係を結んでいた。合力に対しては、兵糧や酒代の費用を負担する必要があり、合戦による人的被害だけでなく、金銭的な負担も大きかった。

不作・荒地

戦争や災害の被害によって不作地や荒地が発生したり、耕作する百姓が不足してしまうこと(退転)があった。不作とは収穫がなかった耕地を言い、荒地とは不作がつづいたり、耕作する百姓がいなくなったりして、耕作されなくなったものを言う。

不作地が発生すると、村は「成り立ち」を維持するため、新しく耕作を担当する百姓を用意すなければならない。その場合、名主や村役人・年寄りなどの有力者が、一族や家来を用いて耕作したり、他から新しく百姓を招き入れることをした。この新しく招き入れた百姓は、他所で没落したり、税金や借金を払えず駆け落ちしたものであり、百姓移住の循環構造があったようだ。