隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

カミサマはそういない

深緑野分氏のカミサマはそういないを読んだ。

本書は短編集で、「伊藤が消えた」、「潮風が吹いて、ゴンドラ揺れる」、「朔日晦日」、「見張り塔」、「ストーカーVS盗撮魔」、「饑奇譚」、「新しい音楽、海賊ラジオ」が収録されている。ミステリーの短編集だと思ったら、全てがミステリーというわけではなく、「伊藤が消えた」、「潮風が吹いて、ゴンドラ揺れる」、「見張り塔」、「ストーカーVS盗撮魔」はミステリーの範疇に入りだろうが、「朔日晦日」や「饑奇譚」は幻想小説風の作品になっている。どちらかというと全体的にダークな感じのテイストの作品集になっている。

この中では「饑奇譚」が気になった。好きな感じの小説ではないのだが、なぜか気になるのだ。その世界は我々の世界よりも科学技術が遅れているように感じられ、彼らは”底”に住んでいる。だが、建物の上に住んでいる人たちも、自分たちの場所を”底”と呼ぶので、どこが上だか良くわからないし、本当の上では年に一回”大放出”する。大放出の前の晩は飲み食いして、空腹で射ていいけない。そうでないと消えてなくなってしまう。そして、大放出の日はとてつもない光が降り注いでくる。主人公の少年が大放出の前日夕食を食べられなくてという風に物語が進んでいくのだが、なぜこの小説が気になるのかと言えば、多分夢の中で起きることとなんとなく似ているからだと思う。自分の夢の中ではなぜか自分の意思が反映されず、やりたいことができなかったり、生きたいところに行けなかったりというようなことがよく起きる。そのため夢の中で起こることは無意味なことの連続で、先の展開が全然わからなく、気が付くとよくわからないところに迷い込んでいるようなこともよく起きる。この小説はなんか夢の中で起きることによく似ているような気がして、気になるのだ。