隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

スタッフロール

深緑野分氏のスタッフロールを読んだ。タイトルから想像できるように今回は映画の話で、ミステリーでもSFでもファンタジーでもない。物語は2部構成になっていて、第一部のマチルダ・パートは第二次世界大戦後の1948年アメリカで始まる。主人公はマチルダセジウィックで映画作りを夢見、特に特殊造形士を目指して奮闘する半生が描かれる。第二部のヴィヴィアン・パートは2017年のロンドンの舞台を移す。こちらの主人公はヴィヴィアン・メリルはCGアニメーターで、そこそこ知名度もあり、業界では評価されているが、ヴィヴィは現在自分が置かれている状況がしっくりこない。

第一部のマチルダはスタッフロールに自分の名前が載ることを夢見て奮闘している。一方第二部のヴィヴィはスタッフロールに名前は載っているが、それだけでは満足していない。このような常に世間からの評価にさらされる人間は、その評価からどうにかして自由にならないとメンタル的にはきついだろうなぁと思った。ただ、世間からの評価という事は本書のメインテーマではない。メインテーマはクリエーターへの賛辞であり、ヴィヴィからマチルダへの敬意というのが根底にあるのだろうと思った。

本書のストーリーとは全く関係ないが、本文の中に「処理が重い」という表現が数か所あり、これはいったいどういう意味で使っているのだろうと思った。処理が重い(実際には処理が遅いであろう)や容量が大きい(こちらもサイズが大きいがより正確だろう)ならまだわかる。ちょっと不思議だと思ったのだが、googleで"処理が重い"を検索すると、結構な数のページがヒットしていて、私の知らないところでこのような表現がはやっているという事なのだろうか?この容量に関しては、「GPUの空き容量を確認してみる」という表現もあり、これも不思議だ。「プラグイン拡張機能が膨大に使用されていて、レンダリングの速度を相当に圧迫していた」と書いていあるので、「処理」の事を言っているような感じがしたのだが、解決策が「他のHDDに移してくれ」なので、データの「サイズ」のことが問題になっているような感じもして、よくわからなかった。