隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

白の闇

ジョゼ・サラマーゴの白の闇(原題 ENSAIO OBRE A CEGUEIRA)を読んだ。それは何の前触れもなく突然始まった。だいたいの人は前触れがあってもそれに気づかず、何かが突然起こったと思うのだが、この場合は本当に何の前触れもなかった。ある時車を運転していて信号待ちをしていた男が突然視力を失ったのだ。そして、その不思議な症状は静かに確実に広がっていった。最初に視力を失った男を親切に家まで送っていった男に。最初に視力を失った男を診察した眼科医に。たまたま、その時に眼科の待合室にいた人たちに。この不思議な症状に何らかの説明がつく前に、政府はこれらの視力を失った人たちと濃厚接触者を、廃精神病院に隔離することを決定した。最初に収容された患者は数名だったが、その数は正に雪だるま式に膨らみ、数日のうちに収容人数を越えて、患者が送り込まれてきた。そして、その収容施設の地獄の様相は決定的となった。

記憶によると、映画「複製された男」の原作者の小説で、謎の感染症で目が見えなくなるという内容だというのを知って読んでみたのだが、感染症の方が主眼なのかと思っていたら、目が見えなくなるという方が主眼だった。人が目が見えなくなると何が起きるのか。それがこの小説のメインテーマだ。そうなると人間は理性や秩序を失っていき、獣性に支配されるのか?ただ、登場人物の全員が目が見えないと、話があまりにもまどろっこしくなると思ったのだろうか、眼科医の妻だけはなぜか失明せずに、夫の事を気遣い、失明を装って収容施設に一緒に入るという設定になっている。一人だけ見えていて、その他は見えないという状況の物語が展開していく。

収容施設では色々な問題が発生する。元々は打ち捨てられた精神病院なので、設備が整っていないし、収容される人数が増えることにより衛生的な問題が発生する。衛生問題(つまり糞便の問題なのだが)は物語の最後まで続いていく。軍隊がこの施設を警備し、外に患者が逃げ出さないように見張っていて、食料の供給も担っていたのだが、その食料も定期的に配送されなくなる。そうなると、少ない食料の奪い合い・独占しようとするものが出てくる。さらに、この収容施設から外には出られないのに、独占した食料を配給する代わりに、金品を要求したり(一体どこで使うのだろう?)、女を要求したりしだして、まさに地獄の様相を呈し来る。

この小説は文体が今まで見たこともない不思議なものだった。地の文と会話の文に区別がなく書かれていて、しかも鍵括弧も使わないので、漫然と読んでいると、誰の発言だかわからなくなってくる。あとがきによるとこの作者特有の文体のようだ。それとこの小説の登場人物には名前がついていない。だから何となく物語全体が寓話のような印象を受けた。あまり、現実感が伴わないのだ。こういう物語は、最後をどう締めくくるのかというのが難しい所だろう。ネタバレになるのでどう終わったのかは書かない。それと、巻末の訳者あとがきを読んで、イエス・キリストによる福音 (O Evangelho Segundo Jesus Cristo) や石の筏 (A Jangada de Pedra) が面白そうだと思ったのだが、日本語訳は出ていないようだった。