隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

夏鳥たちのとまり木

奥田亜希子氏の夏鳥たちのとまり木を読んだ。この作品も、本の雑誌で北上氏が紹介していた小説だ。

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埼玉県の公立中学校に勤める田丸葉奈子の担任の生徒が連絡は付くものの外泊をして家に帰らないという出来事が起きた。その出来事を起点に、葉奈子が昔に自分に起こったことを重ね合わせながら、ストーリーが進んでいく。実は葉奈子も中学生の時にネットで知り合った男の所に2週間ほど泊まったことがあった。その時は何も起きず、無事に家に帰れたのだが、あれは何だったのだろうと現在進行形で進んでいる生徒の問題と昔の問題が絡みつくように描かれていく。葉奈子の母親はシングルマザーで、暴言や暴力こそ振るわないものの、葉奈子の置かれている状況は明らかに育児放棄・ネグレクトだった。だから、誰かに救いを求めた。ネットで知り合った男は何もせず、ただ葉奈子を泊めてくれただけで、「ハナちゃんは大丈夫だよ」とも言ってくれた。それがその後の葉奈子の精神的な支えになったのだった。でもあれは何だったのだろうと、今になって不思議に思う葉奈子でもあった。

未成年を親の許可を得ずに家に入れること自体犯罪なので、そのような目に合った子供を責めるのはよくない。子供は未熟で、理解できないことや判断できないことがあるだからと思っていたのだが、この中の葉奈子の同僚の教師は「被害者がネットに助けを求めるより先に相談したいと思えるような仕組みを作れなかったすべての大人に罪があると俺は思う」と言う。彼は教師であるから強くそう思うところがあるだろうが、何もしないのはやはり罪だという考えの延長線上にこの考えはあるのだろう。こういう考えは思いもつかなかった。

もう一つ印象的なのは「世間から見れば間違いだらけのことに救われる人もいる」という言葉。確かにそういう面はあるのだろうが、本当にそれでいいのだろうかという疑問もある。それは正しい(あるいは問題を解決するのに適した)方法ではないのではないだろうとも思える。長い目で見れば決して良い方法ではないだろうが、短期的に見ればそれによって一時的にでも状況がよくなればとも思う。でも、やはり長期的に見れば何かが失われているのだとも思えて、思考がグルグル循環してしまって、判断がつかなくなった。

この小説はあまり長くはないのだが、色々考えることがあった。