隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

AI法廷のハッカー弁護士

竹田人造 氏のAI法廷のハッカー弁護士を読んだ。読む前はミステリー寄りの作品かと思っていたのだが、実際にはSF寄りの小説だった。「あかさたな」とは何なのかという大きな謎が4つの短編にわたって存在しているが、理詰めで解けるようなものではなし、ミステリー的な謎があるのはCase 2ぐらいだった。この本には4編収められていて、それぞれのタイトルは「Case 1 魔法使いの住む法廷」、「Case 2 考える足の殺人」、「Case 3 仇討ちと見えない証人」、「Case 4 正義の作り方」となっている。

多分近未来の日本が舞台で、その頃は裁判官がAIに置き換えられだした直後の時代設定のようだ。AIが裁判官なので、AI受けしそうな(AIが高いスコアーをつけそうな)話し方とか外見にハッカー弁護士機島雄弁異常にこだわっていた。見てくれがAI視点でよくなるように、整形手術も受けることをいとわない。何ならAIをハッキングをすることも。なぜなら、彼は裁判に必勝することを目的にしているからだ。そんな機島雄弁が巻き込まれた、AI裁判官導入の裏に潜んでいたAI裁判官システムの問題点がこのストーリの核となっている部分だ。

「Case 1 」に出てくる魔法の言葉は「バケツを蹴る」なのだが、こういう表現があるのは知らなかった。首つり自殺するときにバケツの上にのって蹴るから、そういう風に言うようになったらしい。それと、「Case 4」に判例法主義と制定法主義について書かれていて、日本は制定法主義に基づいて法を執行していると書かれていて、「あれ」と思った。ニュースや報道で判例についてたびたび報道されることがあり、実際に過去の判例によって司法の判断が影響されているような場面を見聞きしていたので、「判例法主義」・「制定法主義」という言葉は知らなかったが、判例は司法判断に拘束や影響を与えるとなんとなく思っていた。しかし、日本が「制定法主義」ならば、判例というのはそれほど重要なことではないという事なのだろうか?あるいはどれぐらいの重きを置いているのだろう?それに、本書に書かれているように過去の判例を学習させても、何らかの方法でバランスをとり、どちらかに偏ることを防がなければ、日本の裁判所では使えないという事なのだろうか?よくわからない。