隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

人間性の進化的起源: なぜヒトだけが複雑な文化を創造できたのか

ケヴィン・レイランドの人間性の進化的起源: なぜヒトだけが複雑な文化を創造できたのか (原題 Darwin's Unfinished Symphony)を読んだ。

ヒト(だけではなく他の霊長類や哺乳類)がどのように知的生物に進化したかという事を多数の研究事例を参照しながら解説している非常に興味深い本だった。ヒトが他の霊長類とは違うようになったのは多数の偶然の積み重ねという面も当然あるだろうが、我々の行動・習慣が進化に影響を与えたのではないかという考えを本書で初めて知った。

学習

学習というとヒトの専売特許のような感じがするが、様々な種類の生物が学習している。学習は社会的学習と非社会的学習に分類される。社会的学習とは他の個体から知識を得ることを指す。典型的な行動としては模倣だ。一方非社会的学習はイノベーションの創出であり、試行錯誤により獲得される。非社会的学習はコストがかかり、最悪の場合は命を落とすこともありうる。食べられると思ったものが実は毒だったというような場合だ。生物はこのようなことを避けるために、同じ種が食べている物を好んで食べる傾向にあり、それは社会学習によって得た知識の場合が多いという。しかし、みんながその食べ物に集中すると、環境変化によっては食料不足になる可能性もある。この本で興味深かったのが、実に様々な生物が模倣を通して、学習しているという事だ。興味深いのは、教示という行為をする動物がヒト以外にもいるという事だ。ただ動物は血縁関係のある親族(典型的には母と子)間にしかそのような教示の行為は行わないが、ヒトは血縁によらず教示を行うという事が大きな違いだ。また、人間だけが言葉を話せて、そのことが教示において強いツールとなるのも自明であろう。

共進化

この本によると遺伝子と文化が共進化するという説が唱えられたのは30年以上前だという。文化と遺伝子のどちらが先かはわからないが、文化的な知識が行動や習慣として現れる。そのことが集団内の遺伝子への自然選択の働き方に影響する。ここで述べられている文化は集団内の習慣や行動のことで、我々がイメージする芸術的なものとは異なる。

本書で挙げられているのは色々あるが、例えば、酪農と乳糖耐性の遺伝子関係である。酪農と牛乳の消費から9000年で乳糖耐性遺伝子は高い頻度で広まった。また、焼き畑農業とマラリア耐性の例も紹介されている。焼き畑農業により木の根がなくなり、水たまりが大幅に増えた。そのことがマラリアを媒介する蚊の絶好の繁殖地となった。その結果病気に対する抵抗力を持つ対立遺伝子の頻度が自然選択によって増す状況になった。その一つがヘモグロビンS対立遺伝子(HbS)で、赤血球が硬く鎌状になることから鎌状赤血球呼とばれる。HbSを2つもつ人は鎌状赤血球貧血症という命にかかわる病気になるが、1つの場合鎌状赤血球貧血症は軽度ですむ。そして、HbSがマラリアに対する防御になっている。

でんぷんを分解する酵素であるアミラーゼと農耕社会との間にも共進化が推測される。というのも狩猟採取社会や一部の牧畜社会では、でんぷんはあまり食べられることがなく、これらの異なる集団間では唾液アミラーゼ遺伝子のコピー数が異なり、そのコピー数と唾液中のアミラーゼ酵素量には正の相関があるからだ。

また、顎骨で発現するミオシン遺伝子MYH16はヒトの祖先で欠失した。この欠失により顎の筋肉が大幅に減少したと考えられている。それは今から200万年前に生じた料理の出現時期と重なる。強い顎がなくなったから料理が生まれたのかはわからないが、料理のおかげでヒトはMYH16の欠失を乗り越えられたのだろう。