隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

武士に「もの言う」百姓たち

渡辺尚志氏の武士に「もの言う」百姓たち 裁判で読む江戸時代を読んだ。本書は第一部と第二部に分かれており、第一部は江戸時代の訴訟全般について解説しており、第二部は信濃松代藩真田家文書に残されていた南長池村での出入筋(民事訴訟)の記録をたどりながら、当時の訴訟について語られている。

裁判をおここすための訴えは管轄する役所に訴状を提出しなければならない。しかしながら、江戸時代は行政と司法が分離していないので、行政への訴えも同じ役所に訴えなければならないという矛盾があった。そのため、非合法の訴訟手続き(越訴 おっそ)を生みたすことになった。越訴には、張訴、捨訴、駈込み訴、箱訴などがあった。張祖は大名屋敷の表門に訴状を張り出すこと。捨訴は、例えば、奉行所門前にわざと訴状を落としておくこと。駆け込み訴は幕府の大目付の役宅に駆け込んで、役人に訴状を無理やり受け取ってもらうこと。箱訴は目安箱に訴状を投入することだ。本書では記されていないが、籠訴というのもあった。籠訴はお偉方(幕府の重臣や大名)の籠に向かって、竹や板などに挟んだ訴状を差し出すことを言う。供の者は二度突き飛ばして三度目には受取り、竹や板は本人に投げ返して、訴状を収める。当人は腰縄を打たれて、御番所の者に引き渡された。

さて、第二部の南長池村での出入筋の記述だが、これがなかなか面白い。村が弥惣八派と義兵衛派に分かれて争った。入れ札(選挙)で決める名主にだれがなるかが争いの端緒であったが、弥惣八派は前の名主・村役人の不正財政を告発する内容で訴状を代官所に提出した。代官所は内容の重大性(村役人の不正)から、藩の郡奉行での裁判をもとめ、本件は郡奉行で扱われることになった。その中で、南長池村に存在する西尾張部村の蓮証寺からの借金があるかないかが、まず争点になった。内容を改めるために、帳簿の提出を郡奉行が要求すると、帳簿は既に捨ててしまって、提出できないということであった。

一方病気を理由に郡奉行所に出頭しない弥惣八派の和平に文書で尋問があり、それへの回答で、借金のあるなしは「借りたことになっている利兵衛と蓮証寺住職がそう言っているからです」という回答であったのだが、当の利兵衛と蓮証寺住職は前言を撤回し借金はあったと言い始めた。それからは雪崩を打ったように弥惣八派から寝返りが出ていくことになる。そのため、弥惣八派は窮地に立たされるが、当の弥惣八は主張を曲げず、そのため不届きであるとして、入牢を申しわたされてしまうのだった。

この後は、本書を読んだ方がいいと思うのだが、江戸時代の民事裁判では、基本的には内済(和解)が基本的に落としどころになることが多かった。内済は訴訟当事者間の譲歩・妥協を引き出すので、地域社会の決定的分裂を回避し、双方の対立を修復する効果があったからだ。本裁判も、近隣の村々からの内済調停の申し出があり、内済の調整が行われたが、弥惣八が受け入れなかったため、評定が下ることになるが、その内容はいかにも江戸時代的で、玉虫色だ。そのため、この村での対立はすぐには解決せずに、尾を引くことになる。

江戸時代は訴訟社会だとよく言われることがあり、実際今よりも江戸時代の人々は現代よりも訴訟を起こしていたらしい。その理由の一つに、「裁判をおこしても、全てを失うような結末にはならないだろう、仲裁者が双方が納得できる落としどころをうまくみつけてくれるだろう」という安心感に後押しされて、比較的容易に訴訟に踏み切る判断をしたということらしい。