隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

本人に訊く〈壱〉よろしく懐旧篇

椎名誠氏・目黒孝二氏の本人に訊く〈壱〉よろしく懐旧篇を読んだ。1995年前後だったと思うが、私はしきりに椎名氏の本を読んでいた記憶がある。気が付くともう20年以上昔の話だ。当時読んでいた本を含む大半の本は10年ちょっと前に、溜まり続ける書籍の山に絶望的になり、9割がた処分してしまったので、実際どんな本を読んでいたかは、記憶の中にしかないのだが、わしら怪しい探検隊シリーズとか本の雑誌血風録、発作的座談会、哀愁の町に霧が降るのだ、新橋烏森口青春篇、銀座のカラスとかだと思う。

椎名氏を中心にいい年をした大人がくだらないことをまじめにやっているのが面白くて、そんな仲間に囲まれているのがうらやましく思っていて読んでいた記憶がある。

本書は椎名誠氏の全著作を盟友目黒孝二氏が読み、著者本人の椎名誠氏にインタビューをしたものをまとめた本であるが、年の所為なのか、もともとなのか、著者本人が往々にして「忘れた」と回答する、いかにもな対談集だ。椎名誠氏に興味がない人多分手に取らないと思うが、いかにもな二人の味が出ている面白い対談になっている。時には本について一切触れない場合もある。

面白かったところをいくつか挙げると、「さらば国分寺書店のオババ」の項で椎名誠氏がサトウハチローの詩を暗誦するのだが、その詩が実際には見つからなかったり、椎名誠氏がこどもの時に見た嵐寛寿朗の鞍馬天狗の話をするところの脚注にある「やるときはやるんだよ」という切りかえしはいかにもという感じだ。

また、「風にころがる映画もあった」で

目黒 いや、これはなかなか面白かった。

椎名 本当かよ。はやく言えよ。

という応酬も、この二人ならではという感じだ。「風景進化論」で椎名誠氏が「電車に乗ると、どのやつが悪い奴で、そいつをぶん殴ろうと探していた」という話をしていて、

目黒 それは異常だよ絶対。誰か殴るやつはいないかって探すわけだろ。そういうのがなくなったのは何歳(笑)。

椎名 電車に乗らなくなりました。

という返しも絶妙だ。「発作的座談会」の中で紹介される以下のエピソードも秀逸だ。

目黒 増刷に次ぐ増刷で、本当にいい時代だったよ(笑)。そのころ神保町の書店に新刊を買いに行ったら、よその版元の営業マンらしき人がこの『発作的座談会』を指して書店員に聞いている現場に遭遇したことがある。これ売れているんですかって。いやすごい売れてますよっていう書店員に、いいなこんなんで売れてって(笑)。一生懸命に作ったまじめな本が売れていないのに、「こんなんで売れて」面白くなかったんだろけど(笑)。

私は「発作的座談会」の内容をもはや全然記憶していないが、くだらなくて面白かったということだけはよく覚えている。「私広告」では、本の雑誌社の資金繰りのために、一冊でっちあげる必要があり出版した経緯について触れた後、中身について語りだし、本の真ん中にある「本書の主な登場人物」というページを誰が書いたかわからないという話になる。

目黒 「[桃子]弥生三月になると十二単で浪漫房に現れる雅な人。春は濁り酒がよろしいおすう」こんなやつ、いるわけないだろう。

椎名 おれかなあ。

目黒 絶対におれじゃないよ。だっておれ「石垣島のトラジのおやじ」って知らないもの。

目黒 あっ、じゃあおれだ。

目黒 陸津悠も椎名ね?

椎名 私がやりました(笑)。

大爆笑という感じではないが、読んでいて「ニヤリ」とする本になっている。この内容はもともと「椎名誠旅する文学館」のwebサイトに掲載されたものを書籍化したもので、現在もまだ継続しているようだ。そのうち<弐>が出版されるだろう。

 

 

歌丸 極上人生

桂歌丸師匠の歌丸 極上人生を読んだ。本書は2006年に刊行された「極上 歌丸ばなし」を2015年に文庫化する際に加筆・訂正して出版されたもの。歌丸師匠の生い立ちとか、落語家としての修業時代・笑点の話、趣味の話が書かれている。文章を読むと話し言葉になっているので、歌丸師匠から聞いたのをテープから起こして本にしたのではないかと想像している。

作家の都筑道夫氏の実兄が落語家の鶯春亭梅橋 だったのは知っていたが、古今亭今輔一門だというのは、本書で初めて知った。実際には、志ん生師匠に弟子入りしていたけれど、志ん生師匠が満州に慰問に行ったきり帰ってこないので、今輔師匠の所に移ったようだ。

 それと、歌丸師匠は最初古今亭今輔師匠に入門し、後に桂米丸師匠に弟子入りしたということは知っていたのだが、私は勝手に、今輔師匠が亡くなったので、今輔師匠の弟子の米丸師匠に弟子入りしたと思っていたのだが、実際は歌丸師匠は今輔師匠を一度しくじっていたのだった。寄席への出番が少ないことに不満を持っていて、仲間と芸術協会を飛び出して新しい組織を旗揚げしようとしたようなのだが、それがうまくいかず、4年ぐらい落語から離れていた期間があったらしい。間に入る人がいて今輔師匠に詫びを入れたが、再び弟子にはしてもらえず、米丸師匠の所に行くように言われたということだ。

後半の方に出てくる釣りの話は色々面白い。寄席をヌイて釣りに行ったら、こちらも寄席をヌイた圓右師匠とばったり鉢合わせして、そのことがばれて、後で新宿末広亭の席亭から怒られたとか。