隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

イギリス英語は落とし穴だらけ

ティーブ・モリヤマ氏のイギリス英語は落とし穴だらけを読んだ。この前はてなブックマークを見ていたら、次のエントリーがあり、

はてなブックマーク - Chart shows 'what the British say, what they really mean, and what others understand' | The Independent

この本のことを思い出したから。この本の最初の文章からして驚かされる(その文章は上のページにも書かれている)。

聞いているよ→聞きたくない

I hear what you say.

 この文章を何の前知識なしに見たり聞いたりしたときにはきっと「君のいうことはわかる」的な意味だと思ってしまうだろうが、実際は正反対で「私の意見は違う。この話はもうしたくない」という意味だというのだ。イギリス人恐るべし。どこで意味がすり替わってしまったのだろうか?

 あと、こんな表現も紹介されている。

There are no buts about it. (しかしもかかしもない) <きつい表現なので注意>

I will bear it in my mind <心にとどめておくよと言いつつ、興味がないことの婉曲表現>

自虐のイギリス人

I mange to ~

の~以下に失敗したこと・うまくいかなかったことを続けるのだ。たとえば、

I've manged to miss the appointment.

これも、前提知識がないと何を言いたいのかわからない表現で、「うっかり~してしまった」ということを表現する方法らしい。

Lovely

イギリスに行くとよく耳にするのがこのlovelyだ。女性だけではなく、男も普通に使っている。最初、おじさんが「lovely」と言っているのを耳にしたときは、この人はアッチ側の人なのかと思ったが、意味しているのは単に「good」ぐらいのことだ。

控えめ(?)のイギリス人

以下の2つも知らないと、意味を取り違えてしまうパターンだ。

 I was a bit disappointed.

I was slightly surprised.

両方ともかなり不満に思っている場合に使うのだが、不満に思っていること自体も控えめに表現することで、文字どおりの意味ではなくなってしまっている。

以下の文章も、意味を取り違えてしまう。

I'm sure it's my fault.

日本人なら自分のせいだと告白していると思うが、アメリカ人は第三者のせいにしていると思い、イギリス人は「お前のせいだ」と告発しているのだ。

2017.3.9追記

以下のようなページを見つけた。

5 Ways Customers Complain Indirectly

ここの'4. The self-deprecating customber'が興味深い。要するに、「仮に自分のせいで問題が起きたとしても、何か改善できることがあるのではないのですか?」ということを婉曲に表現しているというのだ。これが正解かどうかわからないが、これが正しいとすると、表現自体はそんなに強いものではなのかもしれない。

supposeの思い

イギリス人のsupposeも曲者らしい。'I suppose'は「本当は疑いが残っているが」という感情が含まれている。

もう一杯お茶が欲しい

よく考えればわかるけれども、とっさに言われると、「?」となってしまう表現、やんわりともう一杯お茶を要求する場合に使う。

I wouldn't mind a cup of tea.

公立学校・私立学校

イギリスでは良家の子女が集まる伝統的な私立のエリート校を'public school'と呼ぶ。どうやらイギリスの富裕層・上流階級の教育では、自宅に家庭教師を招く'private school'が基本だったようだ。その対極にあるのが、家の外にある学校なので'public school'となったようだ。これは完全にアメリカ英語とは逆の意味となっている。

紳士のスポーツ、クリケット

フェアーではないというときに、次のようにクリケットを引き合いに出すようだ。

It's just not cricket.

 ほとんどの人にはクリケットはなじみがないので、こんなこと言われても、意味が分からないだろう。

これ以外にも、本書にはイギリス英語ならではの表現がたくさん掲載されている。

404 Not Found

法条遥氏の404 Not Foundを読んだ。例外小説で紹介されていた小説の中の一編だ。

池上裕也は2回死んだ。クラスメートの九条晶に告白し、振られ、そして父親の経営する会社のビルの屋上から飛び降りて、自殺した。しかし、なぜか同じ朝を3度繰り返してしまう。自殺したはずなのに、それはなかったことになっている。更に、自殺を回避すると、繰り返しから抜け出て、次の日に進めたのだ。

本書のタイトルが404 Not Foundなので、コンピューター関連の何かだと想像がつき、多分この展開はゲームの中の出来事なのだろうなということに途中で気づいた。多分このあたりは作者も織り込み済みだろう。この世界の構成がどうなっているのかというところが作者のポイントなのだろう。物語の中の登場人物が、作者の意図を超越して動き出すという意味では、ピルランデロの「作者を探す六人の登場人物」の亜流のような気もする。そして、これはゲームなので、複数のシナリオルートが存在し、繰り返しプレイされることになる。

「Not Found」は「これは違う」という意味であることが最後のページで明かされるが、「これは違う」というよりは「シナリオにない」ということではないかと思う。