隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか

ナンシー・フレイザーの資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか (原題 CANNIBAL CAPITALISM)を読んだ。

著者は資本主義を共食い資本主義と名づけている。資本主義そのものがそれは他者を食い物にしてしか成り立たたないからだ。食い物にすると言うのは具体的には収奪と搾取だ。収奪というとかつての植民地諸国からの収奪をイメージするが、それだけではなく、資本主義はエネルギーや原材料を自然環境に依存しており、その調達に関しては正に収奪で、奪い取るが、その後のことは一切考えていない。その結果の一つが、我々が直面している気候変動だろう。搾取に関しては、著者は「食料や衣服など低価格の生活必需品を供給し、より低い賃金で生活できるようにする」と書いている。これを読んでハッとした。実はこれはバブル崩壊後の日本経済園もだからだ。あの長いデフレ期間を搾取という視点で考えたことはなかった。

資本主義に対する解決策が社会主義だと著者は説くのだが、かってのソビエトや中国のイメージがどうしても抜けきらないので、私はそこにも違和感を感じる。「社会による資本の統制」とか「資本に対する社会の優越」というような社会主義というのがうまくイメージができないのだ。ある日を境に全く違った社会に移行するというのは混乱が非常に大きいので、徐々に移行するしかないのだろう。そのためにはどのようにシステムを移行するかの議論も必要だと思う。

嘘つき姫

坂崎かおる氏の嘘つき姫を読んだ。「嘘」と「百合」が全体を通しての共通したテーマのような感じがするが、必ずしもすべての作品がそれにぴったり当てはまるわけではない。それとSF的な作品もある。収録されているのは、「ニューヨークの魔女」、「ファーサイド」、「リトル・アーカイブ」、「リモート」、「私のつまと、私のはは」、「あーちゃんはかあいそうでかあいい」、「電信柱より」、「嘘つき姫」、「日出子の爪」。

以下のページに著者自身が、あとがきに代えてという文章を載せている。作品の背景などをざっと説明していて、読んでいてよくわからないところに若干の補足説明が得られた。

『嘘つき姫』あとがきに代えて|Web河出

しかし、やはり「ニューヨークの魔女」、「日出子の爪」はよくわからない。「あーちゃんはかあいそうでかあいい」も最後の所がよくわからなかった。

面白かったのは「私のつまと、私のはは」と「嘘つき姫」。「私のつまと、私のはは」は女性の同棲カップルがARを用いた疑似育児キットを体験するというストーリーで、疑似育児に積極的な方と消極的な方のコントラストが現実の世界との対応を感じさせている。この短編の恐ろしいのは、最後の最後の所。読んでいて、離乳食と粉ミルクがまぜこぜに与えられていてちょっと妙だったのだが、そういうことだったのかと得心が言った。「嘘つき姫」は第二次世界大戦の頃パリからの脱出が物語の出だしなのだろうが、そこに既に作者の嘘が混ぜられていると思われる。この短編の小見出しは「1(3)」、「2(1)」、「3(2)」となっていて、括弧の無い順番でも、括弧のある方の順番でもよいということだろう。そうなると書かれていることがどこまで真実で、どこに嘘が含まれているのか判然とせず、嘘と真実が混ぜこぜになった物語が登場してくる。