隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

マツリカ・マトリョシカ

相沢沙呼氏のマツリカ・マトリョシカを読んだ。2017年8月にこのシリーズのマツリカ・マジョルカとマツリカ・マハリタ を読んだのだが、その時はもともとの単行本の出版から時間が空いているから、このシリーズはもう出ないのだろうなと思っていた。だが、そう思っていた直後に三作目の本巻が出版されていたようだ。出ないと思っていたので、出版されてから半年以上も気づいていなかった。

前二冊は短編連作になっていたが、今回は長編小説となっている。しかし、突きつけられる謎は二つの密室。一つは二年前に起こったことで、その謎は解明されることなく現在に至る。そして、また新たな密室の事件が起こったのだ。

事件の始まりは例によってマツリカに言いつけられて怪談話を柴山が調べているところから始まる。その怪談話とは「顔の染み女」だ。どうやら女子テニス部の部室の天井に女の顔のような染みが浮かび上がるというのだ。しかし、さすがに女子テニス部の部室に入って調べるわけにもいかず、その周りをウロウロしている柴山なのだが、そんな時に一年生の美術部員の春日麻衣子と知り合い、彼女に唆されるようにして、一緒に深夜の女子テニス部の部室に入り、天井の写真を撮ったのだ。そして、部室の外に出ると、校舎の窓に光が見えたような気がした。しかし、このことが密室事件の発端となってしまうのだった。

翌日いつもはカーテンが閉まっている第一美術準備室のカーテンが開いていることを不思議に思って調べようとしていた松本まりかに合流した柴山はそこが昨日光を見た窓であることに気付く。その準備室を鍵を開けると、中には女生徒の制服を着せられていたトルソーが転がっていた。これが提示された第一の密室。扉も窓も施錠されており、簡単には外部との出入りができない。カギは試験期間前ということで、厳重に管理されており、貸し出された形跡はない。しかも、トルソーに着せられていた制服は女子テニス部の3年生七里観月のものだった。柴山は女子テニス部の部室に忍び込んだときにストラップのマスコットを落としてしまい、そのせいで七里の制服を盗んだ疑いを掛けられてしまうことになってしまう。だが、この美術準備室では2年前にも密室事件が起こっていて、七里もその事件に何らかの関係がありそうな雰囲気を柴山は感じ取っていた。

今回の作品ではマツリカは前半部分ほとんど出てこなくて、最後に出てきていいところをもって言った感じ。二つの密室の謎もうまいこと解き明かされている。ただマツリカ・マハリタ - 隠居日録にも書いたが、「なぜマツリカが学校の怪談を調べていて……」というところは今回も明らかにされなかった。

合成生物学の衝撃

須田桃子氏の 合成生物学の衝撃を読んだ。本書は毎日新聞社の記者である須田氏が米国留学中に研究・取材した「合成生物学」に関する内容を一冊にまとめたものである。合成生物学とは、人為的に遺伝子のセットを作り人工的な生命を作ったり、あるいは遺伝子を合成することにより地球上に存在しない生物を作ることである。後者に関しては、遺伝子組み換えとか遺伝子編集の技術が相当すると思われるが、驚くのは前者の方である。全くの勉強不足で知らなかったのであるが、既にこの世に存在していなかった微生物の遺伝子を作り上げてしまっているというのだ。

人工生命体

この人工生命体に関しては第九章で詳しく説明されているが、プロジェクトの着想から成功までには実に20年の歳月を要している。この研究を成功させたのはアメリカのクレイグ・ベンダー率いるJ・クレイグ・ベンダー研究所のメンバーだ。彼らはまず、大腸菌を攻撃する既知の「ファイX174」の遺伝子の合成から取り掛かり、約3500塩基対の遺伝子を作り上げた。ウィルス自体には自己増殖能力はないが、大腸菌の能力を使い自己を複製させた。

次のステップとしてベンダーは3つのチームを立ち上げた。「DNA合成チーム」、「ゲノム移植チーム」、「最小遺伝子チーム」だ。ここで注意しなけれならないのは、彼らの研究対象は遺伝子であって、細胞自体ではない。そのため合成された遺伝子は既存の細胞に移植されなければならない。そのためにゲノム移植チームが必要なのだ。

チームはまず既存の最近の遺伝子の合成を試み、2004年に自然界で最小のゲノムを持つマイコプラズマ・ジェニタリウスの遺伝子合成を成し遂げ、2010年に3月マイコプラズマ・マイコイデスの合成遺伝子を近接種の細胞に移植し、増殖させることに成功した。そして次に最小構成の遺伝子セットの生命の合成に取り掛かった。そして、それは2016年に成し遂げられた。53万塩基対、遺伝子の数は473個だった。

バイオブリック

バイオブリックはMITのトム・ナイトが考案したもので、DNAの塩基配列の内、特定のたんぱく質を作ったり、他の遺伝子の働きを調整する指令が組み込まれたこのの断片を部品化して「規格化」したものだ。このの部品はまるでブロックのように他のDNA部品と簡単に連結できるように設計されていた。2001年にはインターネット上で登録できるカタログも作り、手始めに開発した6つを登録した。実は驚くのはこのようなバイオブリックを製造してくれる企業が既に存在していて、そこに発注すれば遺伝子を作成してくれるという。

遺伝ドライブ

多細胞生物は通常オスとメスの親から遺伝子を受け継ぐので、片方の親が持つ遺伝子が受け継がれる可能性は50%だ。だが、生存に有利な特徴を与えるわけではないのに50%を上回る確率で受け継がれる遺伝子もある。そのような遺伝子は「利己的な遺伝子」と呼ばれており、このような現象を「遺伝ドライブ」と呼ばれている。

もしCRISPRのシステムをゲノムに挿入したらどうなるのだろうか?

CRISPRは近年注目を集めている遺伝子編集技術のことだ。ゲノムの中に遺伝子を編集する因子を挿入すれば、人為的に遺伝ドライブを起こさせることが可能となる。対象の生物のゲノムに対してある遺伝子Xを含む塩基配列を挿入する。その塩基配列にはCRISPR自体も入っているのがポイントとなっている。遺伝子編集された個体が野生の個体と交配し子供が生まれると、この染色体のうち一本は改変されていて、もう一本は野生のままである。しかし、改変された染色体に組み込まれたCRISPRにより、野生由来の染色体も改変されてしまい、2本とも改変された状態となる。その個体が野生の個体と交配し、子供ができるとまた同じことが起きるので、何世代か繰り返されるうちに、全ての個体で遺伝子Xが伝わることになる。

本書にはこれ以外にも、旧ソビエトで研究されていた遺伝子組み換えの生物兵器の話題とか、国防総省下のDARPAが合成生物学に対して投資しているとか、(ヒト)ゲノム合成プロジェクトなど色々興味深い話題についても触れられている。

虚談

京極夏彦氏の虚談を読んだ。京極氏の作品を読むのは本当に久しぶりだ。最後に読んだのがいつだったか思い出せないぐらいだ。

この作品は怪談ならぬ虚談だ。物語は怪談のように話として語られていくのだが、ストーリーの中で突然嘘が出てくる。そうすることでストーリーがひっくり返されて、何とも不思議な結末となってしまうのだ。例えば「クラス」というのはこういう話だ。

御木さんが「妹がくんねん」と言う。御木さんはデザイナー系の学校の年上の同級生だ。しかし、御木さんの妹は中学生の時に山崩れに巻き込まれて死んだという。で、訪ねてくる妹の姿が、白髪で、しわくちゃで、年老いているのだが、なぜか中学の制服を着ているという。だからなのか、姿かたちが老いているとはいえ、あれは妹だという。そんな話を聞いた一週間後、やはりデザイン学校の同窓の久米田という先輩に会い、その話をすると、「御木さんは七年前に自殺した」というのだ。全く記憶になく、不思議だと思い、家に帰り昔の写真を調べてみると、御木さんの写真がないのだ。学校の入学時の名簿が出てきたのだが、御木さんの名前は載っていなかった。

このように、物語の中の現実と虚構の境界があいまいになり、怪談のようだった話が怪談ではなくなるのだが、でもなんだか不思議な感じが残るそんな小説になっている。本書は短編集で、九作収録されており、残りのタイトルはそれぞれ、「レシピ」、「チクワ」、「ベンチ」、「キイロ」、「シノビ」、「ムエン」、「ハウス」、「リアル」となっている。