隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

戦国女刑事

横関大氏の戦国女刑事を読んだ。「警察というのは女社会であり、女尊男卑の風潮が色濃く残っている」と書かれていて、これだけでバカミスだというのが濃厚に漂ってくる。しかも、タイトルが「戦国女刑事」で、登場人物は戦国時代の武将のような名前を持ち、警視庁の女性刑事になっている。しかも、各話のタイトルが「桶狭間に散る」、「姉川の失恋」、「竜虎相搏つ」、「本願寺一族の野望」、「本能寺殺人事件」となっているので、戦国時代のあの時代辺りを題材にしているのはまるわかりだ。内容を書くこと自体はばかられるような感じがする。

本書は広い意味ではミステリーだが、犯人が最初に明らかになっている倒叙形式のミステリーで、あまり謎ときには主眼を置いていないと感じた。とにかくこのなんとも言えない設定を楽しむための読みものだろう。

化学の授業をはじめます。

ボニー・ガルマスの化学の授業をはじめます。(原題 LESSONS IN CHEMISTRY)を読んだ。

どこかの書評で、「テレビの料理番組で調理を化学の授業の様に進める」というような文章を見て、興味を惹かれて読んだ。確かに、本文中にそのような記述は出てくる。その部分も本小説の重要なパーツではあるが、それがメインでは全くなかった。物語は1961年から始まり、本書の主人公のエリザベス・ゾットは1章では既にテレビで料理番組を持っていることなっていて、2章ではなぜそうなったのがサラリと触れられる。しかし、エリザベスがテレビの料理番組を担当することになったのは実に10年前の出来事がきっかけだった。3章からはいきなり10年前に遡り、そこから250ページぐらいに渡り、第2章につながる物語が語られていく。エリザベスはもともと化学者だったのだが、1950年代のアメリカの科学界における女性の地位や扱いは正に暗黒時代を彷彿させるものだった。メイヤーズ博士といいリーベンスモールといい、こんなとんでもない男たちが本当にいたしたなら、とんでもない世界だ。

この小説の面白さにはエリザベスのぶれないところにあると思う。テレビ番組に出るにあたり彼女の衣装は男性視聴者に受けるような体にピッタリしたものだったのだが、彼女はきっぱりと「この衣装は来ません」と拒否する。また、彼女の要求通りになっていないキッチンのセットの備品も観客に無料で渡してしまったりする。しかし、視聴者にとっては彼女の型破りの行動よりも、視聴者を肯定し、意見が合わなくても決して否定せず、鼓舞するところがこの料理番組の人気の源泉となっていき、だんだん視聴率は上がっていく。といっても、当然ながら良いこともあれば、悪いことも起こり、彼女の運命は目まぐるしく変わっていく。

今このブログを書いている傍らキュリー夫人の評伝を読んでいるのだが(その本を読むまでほとんどキュリー夫人について知らなかったことを思い知らされた)、キュリー夫人ノーベル賞をとれたのは彼女の才能と努力の結果でもあるが、そのことを誰よりも認めていた夫のピエールの貢献もあったのだということを初めて知った。そして本書にも「男性が女性の仕事を自分の仕事と同じくらい大事なものと認めることが」と書かれていて、1950年代にはそのように考えるアメリカ人はあまりいなかっただろうことがうかがわれる。それから70年ぐらいたって、色々なことが変わったが、根本のところでは変わっていないことがまだ色々ある。