隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

ぼくらが漁師だったころ

チゴズィエ オビオマのぼくらが漁師だったころ(原題 The Fishermen)を読んだ。

チゴズィエ オビオマはナイジェリア出身の作家で、本作品は1996年のナイジェリアのアクレに住むアグウ家に起こった悲劇を描いている。前年の暮れに銀行員の父親が単身赴任になり、家を離れた。そして1996年の1月その家に住む4兄弟、イケンナ、ボジャ、オベンベ、ベンジャミン(語り手)は漁師になった。といっても、この漁師は比喩的な意味で、家の近所のオミ・アラ川に釣りに行っていたのだ。しかし、オミ・アラ川では女性の刺殺死体が見つかってからは、大人たちからは近づかないようにと言われていた。ところが、そこで釣りをしていることを近所に住む女の人に見られ、母親に告げ口されてしまった。そして、それは父親の知る所となり、帰省した父親に鞭打ちの御仕置をされた。

しかしほどなく、長兄のイケンナの様子がおかしくなり、兄弟を避けるようになり、次男のボジャとの確執が決定的になっていく。母親も心配し、何があったのかオベンベを問いただした。オベンベが語るのは、狂人のアブルがイケンナが漁師に殺されると予言したという。そのせいで、イケンナはボジャに殺されると思い込み、ボジャを攻撃したり、家族を避けるようになったのだ。そして、ある日とうとう二人は衝突し、ボジャはイケンナを刺殺し、自らは井戸に身を投げて死んでしまった。こうして、アグウ家の崩壊は決定的になった。

この後まだ悲劇は続いていくのだが、物語の最後には一縷の光があるかのように書かれているだけで、どのようになったかは明らかにされていない。物語は、語り手のベンジャミンが20年経って当時を振り返るという形式になっているが、現在のことは全く語られなかった。それは、この物語がナイジェリアが置かれている状況をアグウ家に投影して描いているからであろう。狂人が平和な家庭にいきなり割り込んできて、予言により家族を崩壊させたように、イギリスやポルトガルが、ナイジェリアを植民地にし、奴隷や植民地貿易で国を荒廃させ、独立しても国家の態をなさなくて、政情不安が続いている。未来に対して希望は持ちたいが、決定的な希望は得られる保証は何もない。そんな状況をあらわしているのではないだろうか。

オブリヴィオン

遠田潤子氏のオブリヴィオンを読んだ。本の雑誌の2017年12月号で北上次郎氏が絶賛していた(2ページのうち、本作の紹介で半分を費やしているぐらいの熱の入れよう)ので読んでみたのだが、これはなかなか読ませる小説だった。

物語は吉川森二が出所しているところから始まる。森二が仮出所すして、塀の外に出ると、二人の兄が待っていた。一人は実兄の光一。光一はヤクザダ。競艇のノミヤをやっている。もう一人は義兄の長峰圭介。森二は4年前に妻の唯を殺してしまった。そのため、刑務所に入っていたのだが、出てくるそうそう、なぜ唯を殺したと詰め寄ってくる。そして、「お前を赦さない」ともいう。

4年前吉川森二は妻の唯を殺した、それも娘の冬香の目の前で。妻の唯にも、その兄の圭介にも言葉ではつくせぬ恩があったにもかかわらず。兄の光一のもとで予想屋をやっていた森二を、日の当たる場所に連れ戻してくれたのは二人だった。そのことが、現在進行形のストリー(元の仲間からの嫌がらせ)に絡ませる形で、少しずつ語られていく。そして、なぜ嫌がらせが起きているのかの謎が明らかにされつつ、なぜ事件が起きたのかも明らかにさにされていく。

話は途中結構重苦しい展開になるのだが、最後の所には救いがあることだけは書いておこうと思う。本書の人間関係もかなり破綻しているが、以下のリンクによると、2012年刊行の『鳴いて血を吐く』(KADOKAWA・文庫版は『カラヴィンカ』に改題)はもっとぶっ飛んでいる。
【今週はこれを読め! エンタメ編】深い傷と再生の物語〜遠田潤子『オブリヴィオン』 - 松井ゆかり|WEB本の雑誌

ある日、父親の愛人とその娘・実菓子が同居することになる。実菓子は息をのむような美少女で、後に兄・不動の、さらに後には父親の妻となった女だった...。

どんなストリーかは詳細は全く知らないが、こんな話は怖くて読めない。メンタルがやられそうだ。

オブリヴィオンは忘却を意味する言葉で、そこから赦しという意味もあるようだ。このタイトルの曲のことは本その中でも語られているが、実はトム・クルーズの映画もあったのを今回思い出した。