隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

経済成長という呪い

ダニエル・コーエンの経済成長という呪い(原題 Le Monde Est Clos Et Le Désir Infini)を読んだ。本書はダニエル・コーエンが人類史の歩みとともに、我々がたどり着いた現代の経済のありようを解説する本である。ここ最近私は資本主義の終焉を感じているのだが、本書を読んで改めてその意を強くした。ことに、日本においては資本主義はすでに破綻していると感じている。

誰が言ったのかを知らなかったのだが、「我々はやがて働く必要がなくなり、芸術・文化に時間を費やすようになる」というようなことを、子供の時に聞いたことがあり、そのころは、何か将来にバラ色の未来が待っているような気さえしたのだが、この言葉はあのケインズの言葉であったとい事が、本書に書かれており、ケインズをもってしても、現在のありようは想像できなかったということなのかと嘆息してしまった。

本書の中で、産業革命のモチベーションの一つが高い賃金の克服だったと述べられていて、なるほどと思った。18世紀中ごろのイギリスの賃金はフランスより60%も高かく、労働力を機械化をしようと機運が著しく高まった。

インフレの消滅からバブルの発生の考察も興味深い。インフレへの対策(のみではないだろうが)からコンピュータ化が進み、単純労働の非正規雇用が増えたために、賃金に大きな下方圧力がかかった。インフレ率が低いと通貨当局は経済を刺激するために金利を引き下げる(最もゼロよりは下げられず、そのような状況がずうっと続いているのが日本だ)。低金利は金融バブルを発生させやすい。アメリカのサブプライムローンがこの典型的な例だ。金利が下がると、不動産ローンの費用も低下し、住宅所有者になる人の購買力も、当初は増す。そして、そのような状況下では不動産価格は必ず上昇する。つまり、コンピュータ化により賃金に下方圧力がかかり、インフレは収まり、金利も低下する。そして、不動産価格が上昇する。労働者の貧困が資産バブルの原因となっているという説明だ。

人口増からの転換という世界的な現象が起きているというのも興味深い。合計特殊出生率がなぜか各国で低下し始めているのだ。たとえば、エジプトでは1950年に7だったのが、現在では3.4だ。このままでいくと、2025年ごろには人口転換(合計特殊出生率が2.1を下回り、人口減少が始まる)が起きると予想される。インドネシアでは1950年に5.5だった合計特殊出生率が、現在は2.6。インドでは6.3から3.3に。国連の人口予測によると、世界全体の人口転換は2050年ごろで、その後は世界の人口は減少することになる。この現象の理由を本書ではいくつか述べているが、決定的な理由は見当たらない。

さて、本書のタイトルになっている「経済成長という呪い」であるが、それは人間の性質である「馴化」に関係していると本書では説明している。我々の感じる幸福は常に自分を取り巻く環境を基準に判断しており、自分が置かれる環境は常に変化するので、いくら幸せになろうと、すぐまたその状況に慣れてしまい、更に求めるのだ。ここで重要なのが、幸せを感じる絶対量ではなく、より幸せになりたいという増加量が求められているのだ。これは正に、経済成長率という更に悪い指標に導かれる。経済規模でもなく、経済の増加量でもなく、経済成長率だけが尊ばれているのだ。

また、本書で指摘されているが、80年代以降、機関投資家は経営者のモチベーションを変化させた。それは、経営者と従業員の利益を切り離す新たなガバナンスの形態を設けた。経営者は自社の株価に応じた報酬を受け取るようになったのだ。従来は製造業の経営者は従業員の賃金を引き上げなければ自身の報酬を増やせなかったが、新しい形態では株価を株式市場で堅調に維持しなければならない。それは従業員の賃金の抑制につながるのだ。

資本主義の重要な側面に、生産の拡大、消費の拡大、経済の成長の3つがある。これらは互いに結びついていて、あるものが他方の推進力になっている。そのため、このうちのどれかが抑制されるとたちまちこのサイクルは回らなくなる。2050年ごろに世界全体の人口転換が起きるとすれば、生産も消費も拡大を止めるだろうし、今現在少子化が絶賛進行中で、賃金の増加が止まっている日本では、それゆえに長期の消費の低迷に見舞われている。かっては好景気といえば2ケタの経済成長のことを指していたが、いまや成長率がプラスであれば好景気と呼んでいる。いくら世間で好景気であるといっても、それがかってのような推進力にならないのは自明なことだ。

怪盗 桐山の藤兵衛の正体 八州廻り桑山十兵衛

佐藤雅美氏の怪盗 桐山の藤兵衛の正体 八州廻り桑山十兵衛 を読んだ。この八州廻り桑山十兵衛のシリーズも長く続いており、本書で十冊目だ。一作目の「八州廻り桑山十兵衛」が出版されたのが平成八年なので、二十年以上も続いてる。

主人公の桑山十兵衛は通称八州廻り(正式には関東取締出役)で代官所の手付・手代にあたる幕府の役人である。この作品は連作短編になっており、本書には、手習師匠過去十五年の空白、深まる謎、握りつぶされた三行半、河門笑軒の三頭の馬、冷や飯三人組ともう一人の男、消えてゆく手掛かり、一味の正体の七編が収められている。

中追放を申しわたされた大田宿の長五郎という元髪結いが追放地に舞い戻ってきたという知らせを聞いて、桑山十兵衛が遣わされたのだが、捕縛されていると聞いていた稲月村の領主役場にいざ赴いてみると、長五郎は逃げたということになっていた。十兵衛は再び大田宿に戻り、長五郎を追うことになるのだが、足尾郷のナントカ村に知り合いがいるということで、そこに逃げた可能性があるので、足尾郷に向かう。その途中道に迷った。暗がりを歩いていると大きな一軒家を見つけ、そこで一夜の宿を頼むと、快く泊めてもらえることになり、晩飯まで馳走してもらうことになった。その家の主は河門笑軒と名乗り、そこで手習いの師匠をしているという。歳は古希を迎えており、この地には二十年も住みついているのだということだ。結局十兵衛は運悪く、後からこの家に迷い込んできた長五郎を捕まえることができたのだが、「はて、この河門笑軒とは一体何者だろう?そういえば、二十年ほど前に桐山の藤兵衛という盗賊が姿を消した。もしかすると、河角笑軒は桐山の藤兵衛か?」と疑問を持つのだった。

河角笑軒の正体がわからない中、盗賊事件が出来する。そして二話目で「たき」という女が登場し、この女が盗賊一味と内通しているのか、それともただ巻き込まれているだけなのか、判然としないで物語が進んでいくところが、本作のストリーの肝だろう。最終話でどういうことがあったのかが語られるのだが、話が広がり過ぎのきらいがあり、最後の話はかなり駆け足になっている。