もういちど読む 山川日本史史料を読んだ。本書は山川出版の詳説日本史に掲載されている史料のうち48点を選んで解説している。史料は現代語訳されており、解説も付いているので読みやすいのだが、原文もぜひ載せてほしかった。
大化の改新の詔
日本史のツボ - 隠居日録で公地公民とか班田収授法はあまりきちんと機能していななかったのではということが書かれていたが、どうやら日本書紀に書かれている大化の改新の詔自体の信憑性が疑われているらしい。近年の考古学的な発掘の成果(特に木簡)により、645年当時「郡」という漢字は使われていなかったということが知られるようになってきた。それは藤原京の発掘により、木簡には「評」という文字が使われていたことが分かった。藤原京は694年から710年であり、「郡」は701年の大宝律令以降用いられた漢字であるので、詔に用いられるのならば「評」の漢字だったはずである。どうも、720年に完成した日本書紀を書くにあたり、大宝律令を見て「郡」としたのではないかというのが、最近の説のようだ。
肥後国鹿子木荘
東寺百合文書中の肥後国鹿子木荘の権利関係の文書を示して、当時の本家―領家ー荘官という伝領関係について説明しているのだが、まず、荘園が増加するのが摂関政治の頃でなく、院政期(特に鳥羽上皇時代)というのが興味深かく、この事は全く知らないことであった。肥後国鹿子木荘は寄進地系の荘園であるような文書が東寺に残されているのだが、それは東寺の権利を主張するために書かれたもので、本当は鳥羽上皇側からの強い働きかけがあって、荘園が成立したようだ。このような上からの働きにより成立した荘園を立荘と呼ぶようだ。
悪人正機
善人なおもて往生をとぐ,いはんや悪人をや
で有名な親鸞の根本思想であるが、ここで述べられている悪人、そしてそれとついになる善人について、わかっているつもりでわかっていなかったことが今回わかった。善人とは「自分で修業や善行を積むことができる人」であり、悪人は「自分の力を頼む心をきっぱりと捨てて、阿弥陀仏の他力にすがる人」というう意味なのだ。だから、阿弥陀の他力により悪人が往生するということだ。