隠居日録

隠居日録

2016年(世にいう平成28年)、発作的に会社を辞め、隠居生活に入る。日々を読書と散歩に費やす

コード・ガールズ――日独の暗号を解き明かした女性たち

ライザ・マンディのコード・ガールズ――日独の暗号を解き明かした女性たち (原題 CODE GIRLS The Untold story of American Women Code Breakers of Wold War II)を読んだ。本書は暗号解読の役割を担った女性たちという切り口で第二次世界大戦中を描いている。暗号解読というような機微に関わることは通常表に出てくることはなく、当時この仕事についたものは一切の口外を固く誓わされていたので、よほどのことがない限り自らその活動について語ることはない。だから通常は正に闇に葬られるようなことであり、我々が知ることはできないだろう。アメリカ政府が文書の公開をしたいきさつに関しては詳しく書かれていないのでわからないが、現在は様々な史料が国立公文書館で閲覧可能なようだ。

日本軍による真珠湾攻撃以前からアメリカ海軍・陸軍とも暗号解読の組織は存在していたようだが、規模はそれほど大きくなく、二つの組織はあまり協力せずに存在したようだ。しかし、真珠湾攻撃に関して事前に予測できなかったことが両軍に危機感をもたらし、急遽組織を拡大していくことになるのだが、状況が人材の供給を難しくしていた。つまり、男は戦場へという前提に立つと、女性を採用するしかないのだ。しかも暗号解読には高等教育を受けている人材が必要だった。当時の4年生の大学を卒業している女性の割合は4%程度でかなり低くかった。海軍はアメリカ北東部の女子大学に目をつけ、優秀そうな学生を推薦させ、秘かに暗号解読の教育を始める。同じく陸軍も女子大学に目をつけるが、同じ学校へのアプローチは海軍からのクレームに合うので、女性教師にターゲットを変えて採用をしていく。こうして海軍・陸軍とも多数の女性暗号解読のエキスパートが誕生していくことになる。最初の頃は軍隊には女性兵はいなかったので、彼女らは民間企業に採用されている体をとっていたが、やがて両軍には女性部隊が作られ、そちらに移動するものも出てくる。

1945年アメリカ陸軍の暗号部門の女性の人数は7000人近くなっていて、これは全体の70%近い。同じく海軍では女性は4000名程度で、これは全体の80%だった。

本書を読んで初めて知ったのだが、日本軍の暗号も外交暗号もほぼ解読されてて、その情報がミッドウェー海戦とか山本五十六撃墜だとかに実際に使われたという事だ。更にはドイツ軍のエニグマ暗号もイギリスでは手に負えなくなり、アメリカで暗号解読が行われたという事だ。ドイツ軍のエニグマ暗号と言えば今やアラン・チューニングがすぐに思い浮かぶが、実は仕組みが既にポーランドで解明していて、その情報をもとにイギリスでチューニングがボンブという機械を作り解読していたという事だ。しかし、ドイツは1942年2月にエニグマ暗号の仕組みを複雑化し、それ以降イギリスでも解読できなくなった。それを解読できるようにしたのがアメリカ海軍の暗号部隊だったというのは知らなかった。

あのドイツ大使の大島浩の外交暗号も解読されていて、その情報がノルマンディー上陸作戦に利用されていたというのも、興味深い歴史だ。だが一方で、日本軍においてのアメリカやイギリスの暗号の解読というのはどうだったのだろうという疑問も浮かんできた。

黄金虫変奏曲

リチャード・パワーズの黄金虫変奏曲 (原題 The Gold Bug Variations)を読んだ。何かでこの本事が紹介されていて、

  1. 原題 のタイトルはエドガー・アラン・ポーのGold-Bug(黄金虫)とバッハのゴールドベルグ変奏曲をかけ合わせた物である。
  2. DNAの4つの塩基が何を意味しているかの謎に肉薄した男の物語である。

という事だったと記憶している。バッハのゴールドベルグ変奏曲はグレン・グルードのピアノ演奏で何度も聞いたことがあり、非常に特徴的なメロディだという印象を持っている。また、ポーの黄金虫は中学生の頃に読んだ記憶があり、詳細は憶えていないが、暗号を解いて宝を見つける小説だったはずだ。それが頭にあったので、2番目のDNAの塩基の謎と暗号とが結びついたミステリー的な小説なのかと勝手に想像して読み始めた。だが、この小説はそういうようなミステリ的な小説ではなかった。これはどちらかというと、恋愛小説だろう。

1982年の不思議な遭遇から物語は始まるのだが、この場面は本当にと不思議だ。ジャン・オデイという名前の図書館司書が「歴史上の今日」という掲示をピンでとめていた時に、誰かの手が鎖骨をチョップしたというのだ。だが、これは可能だろうか?壁をむいてピンでとめている筈なのに、どのようにチョップできるのだろう?しかも、オデイはその後振りむいているのだ。後ろから鎖骨にチョップして振り向かせるなど、どのような魔法を使ったのだろう?その後、フランクリン・トッドという男からスュアート・レスラーという男について調べて欲しいというレファレンスの依頼を受ける。実はこのスュアートこそオデイにチョップをしたあの男であり、トッドの同僚なのだった。何とかしてオデイはスチュアートが何者か調べだし、フランクリンに告げるのだが、この後特にスチュアートの過去を彼らが積極的に調べるわけではない。

物語自体はこの後この3人を中心に進んでいくが、ところどころで1957年ごろのスュアートのエピソードが挟み込まれ、彼の分子生物学者としての恋愛と挫折が描かれていく。一方1982年の時間軸ではオデイとトッドの恋愛が描かれていく。実は物語自体は1984年頃から始まっており、オデイにとってはスチュアートとフランクリンのことは過去の出来事で、1984年においては彼らの関係性も変わっている。物語のメインはこの2つ恋愛物語が上下ニ段組みで850ページにわたって語られている。私は物語のどこかでDNAの4つの塩基の暗号について掘り下げて書かれるのかと期待していたのだが、明確な記述は発見できなかった。塩基3つを組み合わせてアミノ酸が合成されることは1957年には既に発見されていたようで、そのことは書かれているが、ではどの塩基の組み合わせがどのアミノ酸になるのかについてはまだ不明のままだったようだ。

思えば、我々は既にどの塩基の組み合わせがどのアミノ酸に対応するかを知っているが、これを最初に発見したときはどのような経緯を辿ったのだろう。これに関しては分子生物学の歴史を紐解くのが早いことは確かだ。mRNAがDNAの塩基配列を読みだしてアミノ酸を合成する過程も、よく考えてみればちゃんと理解しているわけではないことに改めに気づいた。